最悪の愚将…。Jリーグ、歴代ガッカリ外国人監督5人。名門も大混乱、泣かず飛ばずに終わった男たち
1993年の発足以来、Jリーグでは様々な外国人監督が指揮を執ってきた。30年以上の長い歴史の中で輝かしい実績を残した者もいれば、水が合わずに短期間で職を追われた者もいる。ここでは、多くのファン・サポーターをガッカリさせた外国人監督を5人紹介する。
セホーン セホーン(ガンバ大阪/ブラジル) 生年月日:1950年10月12日(当時62歳) 在籍期間:2012年~同3月 西野朗監督体制ではJ1初優勝やAFCチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げ、黄金時代を築いた。そして、西野監督の後を引き継いだのがセホーン氏だった。 しかし、実際に指揮をとったのは元日本代表の呂比須ワグナー氏。Jリーグの指導者資格の要件を満たさなかったため、呂比須氏の師匠ともいえるセホーン氏が監督の立場となった。開幕から連敗が続き、3月にあっという間に解任となった。今野泰幸をFC東京から獲得し、倉田秋らをレンタル先から復帰させており、戦力的には決して下位に沈むチームではなかった。セホーン氏の手腕に疑問が浮かぶのはもちろん、招聘したクラブにも落ち度があった。 クラブはセホーン、呂比須両氏を解任するとともに、山本浩靖氏が強化本部長を辞任。コーチだった松波正信氏が監督に昇格して新体制を築いたが、チームは低迷し続けた。結局、チームは盛り返すことができずJ2降格の憂き目にあった。
ゼリコ・ペトロヴィッチ ゼリコ・ペトロヴィッチ(浦和レッズ/ユーゴスラビア ※現モンテネグロ) 生年月日:1965年11月13日(当時46歳) 在籍期間:2011年~同10月 現役時代はスペインやオランダでプレーし、ユーゴスラビア代表にも選ばれた。浦和レッズでのプレー経験もあるミッドフィルダーだ。引退後は指導者の道を歩み、2011年に古巣である浦和の監督に就任した。 しかし、結果が出ない。オランダ風味のサイド攻撃を好む指揮官と、サイドアタッカーが不足するスカッドの間にひずみが生まれた。次第に采配にも迷いが見られるようになり、チームはJ2降格の危機に直面。9月にクラブは柱谷幸一GMの解任に踏み切るも結果は好転せず、ペトロヴィッチ監督も10月に解任されることとなった。チームはその後、堀孝史監督体制となり15位でJ1残留を決めた。