林家木久扇86歳が"欽ちゃん”に明かした「笑点卒業」を決めた、妻のひと言
落語とコメディ、うらやましい点
──お二人とも、たくさんの偉業を成し遂げてきたからこそのお言葉ですね。落語とコメディ、相手のジャンルをうらやましいと思ったことは? 木久扇:落語は、登場人物の役を全部自分がやっちゃう。楽といえば楽なんですけど、自分の力量を超えた展開にはなりません。その点、コメディは相手役がありますよね。欽ちゃんの場合は、坂上二郎さんとコント55号を結成したことで、笑いの枠が大きく広がった。そういうのは、いいなと思いますね。 萩本:二郎さんは、いちばん組みたくない人だったんです。浅草の舞台で何度か一緒になって、とにかくツッコミがしつこい。二郎さんに一緒にやろうと言われて、「試しに一回か二回やってみる感じでどう」なんて逃げ腰で言ってた。だけど、ウケたもんだからそのままコンビになっちゃったんです。 木久扇:むしろ二郎さんに、見る目があったってことですね。 萩本:落語でうらやましいのは、やっぱり歴史の積み重ねがあるところかな。着物の人が高座で話し始めると、誰もが「さぁ笑おう」っていう心構えになる。コメディだと、新しいことをすればするほど、見てる人が「さぁ笑おう」にたどり着くまでに時間がかかっちゃう。 ──萩本さんは『笑点』をよくご覧になっているとか。 萩本:そう、木久扇さんのボケが見たくてね。13年前に二郎さんが亡くなって、芸を見せてくれるボケの人がいなくなったなと寂しく思ってたら、『笑点』にいたんですよ。 木久扇:そんなふうにおっしゃっていただいて恐縮です。
まだまだバカやマヌケの大切さを伝えていかないといけない
──木久扇さんは、この3月末で『笑点』を卒業されました。それを聞いたときに、萩本さんはどう思いましたか? 萩本:実際の師匠のお気持ちはわからないけど、円楽さん(六代目三遊亭円楽)がいなくなってからは、ちゃんといじってもらってない。だから、ちょっと寂しそうに見えたかな。自分だったらこうツッコむのにって、もどかしい場面がよくあった。俺を出してくんないかなぁと思ってたけど、声がかかんないからさ。 木久扇:そういうわけではないですけど、だんだんしんどくなってきちゃって。バカだからやめ時がわからなくて長くやっちゃいましたけど、おかみさん(妻)が「そろそろいいんじゃない」と言ってくれたんです。 萩本:師匠が『笑点』から卒業したら、学校のイジメが今以上に増えちゃうかもしれない。だって、バカのすごさを示してくれている人がいなくなったら、誰かの欠点やダメなところは「バカにしていい」としか思わなくなるでしょ。 木久扇:となると、ぼくも欽ちゃんも、まだまだバカやマヌケの大切さを伝えていかないといけませんね。 萩本:半年ぐらいしたら、司会で復帰してほしいな。いよいよ体がしんどくなったら、横に布団敷いて寝てるだけでもいいから。お前らは座布団だけど、俺は布団だって。 木久扇:ハハハ、いいですね。寝転がって、「面白くないよ」なんてブツブツ言ってる。 萩本:私も3週間に一回ぐらいずつ、舞台の右から左にすーっと歩いていく。師匠に手を振ったりなんかしながら。 木久扇:欽ちゃんがいつ登場するかわからなくて、視聴率が上がっちゃうかもしれない。 萩本:お互い、まだまだ暴れましょう。跳んだりはねたりはしなくていいけど。 (1回目/全4回) Kikuou Hayashiya 1937年、東京・日本橋生まれ。高校卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。1960年、三代目桂三木助に入門し、翌年、八代目林家正蔵門下へ。1982年「全国ラーメン党」を結成。3月末、約55年務めた『笑点』の大喜利レギュラーメンバーを”卒業”する Kinichi Hagimoto 1941年、東京・下谷生まれ。高校卒業後、浅草の東洋劇場に。1966年に坂上二郎と「コント55号」を結成。1980年代には『欽ちゃんのどこまでやるの!』など、手がけた番組が軒並み高視聴率を叩き出し「視聴率100%男」と呼ばれた。多くの番組で司会者としても活躍 取材・文/石原壮一郎 撮影/ヤナガワゴーッ! ―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
日刊SPA!