ノーベル平和賞受賞がもたらすもの「今が転換点」被爆者たちが核廃絶に向けて次のステップへ《長崎》
被爆後の入退院で学校へ行くのもままならず、44歳の若さで亡くなった妹・律子さんの写真を手に、思いを伝えました。
(日本被団協 横山 照子代表理事) 「特に高校生の皆さんには、妹が『勉強が足りない足りない』と、(原爆の後遺症や差別などで)学校に行きたくても行けなかったということを分かっていただきたい。 (そして) 自分たちの歩む道をぜひ自分で決めてほしい」
(日本被団協 横山 照子代表理事) 「戦争がない平和な世の中でしか、自分の道は切り開くことはできない。 この地球上には(核兵器は)1発もいりません。ぜひみなさんも、核兵器廃絶には心を寄せていただきたい」 ノーベル平和賞の授賞式後に「これからが本当に私たちの正念場。自分たちだけではできないので、日本国民、世界の人々一緒に運動をしていって、核兵器を一刻も早くなくすことをしていかないといけない」と語り、未来を担う若者への継承も進めていく必要があると話していた横山さん。
(日本被団協 横山 照子代表理事) 「受賞後の初めての活動が若者との交流ということで本当にうれしかった。若者につないでいかないと、この運動はなっていかない。交流ができて未来があると実感した」
テーマは「核兵器の脅威にどう向き合うか」。 長崎の被爆者で県被爆者手帳友の会会長の朝長 万左男さんが医師として、被爆者医療に尽くしてきた経験から、被爆者を生涯苦しめる核兵器の非人道性を訴えました。
(被爆者手帳友の会 朝長 万左男会長) 「若者世代がしっかり理解して、“核兵器は捨てるべきだ” ということを、国を超えて世界の連帯を実現する(以外)に、将来の核のない世界のスタートはありえない。 “ノーベル平和賞” の受賞は、そのきっかけをつくるのではないか」 迎える『被爆80年』。
(日本被団協 横山 照子代表理事) 「本当に転換点だと思います。世界中の平和を愛する人たちのおかげで、賞をいただけたわけですから。その人たちの報いも含めて。
そして私たちの、亡くなっていった被爆者の “やり残したこと” がまだまだあるわけだから、残された課題をやらなきゃいけないんじゃないかと」 日本被団協のメンバーはすでに帰国の途につき、13日に長崎市で会見に臨みます。