総裁レース離脱:岸田の示した「意地」とは
春先には決断?
筆者は岸田側近の一人から、6月21日記者会見での質疑を根拠にした「岸田不出馬説」を聞かされていた。こんなやり取りである。 記者「総理の表情、口調をお聞きしていて非常に疲れていると感じる。総理の気力はみなぎっているのか」 岸田「疲れが見えているとしたならば、それは私の不徳の致すところ。気力は十分みなぎっているので、決して疲れているなどと申し上げるつもりはまったくない」 一見、「気力がみなぎっている」という岸田の反論に力点が置かれているように思えるが、側近の解釈は違った。「総理たるもの、弱みを見せた時は辞める時です。だから『不徳の致すところ』って言った時に、ああ総理は腹を固めたんだなと思いました。もうやるつもりはありませんよ」 通常国会の終盤では、岸田が総裁に再選される唯一の条件は次期衆院選で「政権維持」の実績を残すこと、従って議席減が見込まれても岸田は強引に衆院を解散するとの通説が流布されていた。岸田の不出馬表明の後、改めて側近に決断の時期を問うと「春先から決めていた」との答えが返ってきた。今後、通説の大幅な修正が必要になるかもしれない。 岸田政権はそもそも、安倍晋三、菅と続いた権力色の強い政権運営へのアンチテーゼとして誕生した。岸田が3年前の出馬会見で自前で国民の声を聞き取ったというメモ帳をかざして「聞く力」をアピールした姿は象徴的だった。
定見なき「場当たり処理」の限界
政策的にも安全保障は「ハト派」、財政は「均衡重視」と、安倍・菅政権とは指向性を異にしていた。特に岸田が看板政策にしたのは、経済格差を拡大させるグローバル資本主義から、中間層の復活に向けた再配分重視の「新しい資本主義」への転換だった。 しかし、この岸田構想に一部経済人が「社会主義的だ」などと反発、アベノミクスを支持してきた右派も警戒感を強め、修正を余儀なくされる。今では「新しい資本主義」そのものが正体不明になっている。 安全保障では22年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略が、決定的な影響を与えた。世界は一気に冷戦型の対立構造へと変化し、岸田は「きょうのウクライナは明日の東アジアかもしれない」とのスローガンの下、防衛費の大幅増額、敵基地攻撃能力の保有を含む国家安全保障戦略など安保3文書の改定を実現させた。 防衛費増額の財源をめぐって岸田は「今を生きる我々の責任で」と、一部は増税で賄う方針を示した。国債増発で防衛費を手当てしようとする安倍派へのけん制であり、22年末までは「財政規律」へのこだわりを残していた。 ところが、年が明けて2023年1月に「異次元の少子化対策」を打ち出したあたりから、岸田は変節してゆく。巨額の費用が発生するのに、財源の検討は後回し。同年秋には「税収増を還元する」として唐突に定額減税を打ち出した。「増税メガネ」のあだ名を返上したいだけのポピュリズム政策だった。 有力官庁のトップは「防衛費の財源問題まではまだ緊張感があったのに、異次元の少子化を言い始めたころからおかしくなった。あそこが岸田政権のターニングポイントだった」と振り返る。 22年は安倍銃撃と国葬、それに伴う旧統一教会問題、23年暮れからは政治資金パーティーの裏金還流問題と、党内最大派閥である安倍派を起点とする事件、スキャンダルの処理に振り回されたのも、岸田政権の特徴だ。 岸田はこの間、旧統一教会への解散命令請求、党内派閥の解消、政治倫理審査会への自らの出席、パーティー券購入公開基準の大幅引き下げなど、首相主導で数々の手を打ってきた。どれも以前に比べたら「よりまし」「改善」かもしれないが、支持率の回復にはまったく結びつかなかった。 それは岸田の繰り出す一手一手が、常に「場当たり的」であり、国民の目には定見に裏付けられた政治信念とは映らなかったからだろう。異次元の金融緩和路線の修正、日韓関係の歴史的修復など、いくつもの重大な政策転換を手がけた岸田政権だが、不人気のレッテルを貼られたまま間もなく幕を閉じる。
【Profile】
古賀 攻 公益財団法人ニッポンドットコム常務理事。1958年佐賀県生まれ。明治大学政経学部卒業後、83年に毎日新聞入社。政治部長、編集編成局次長、論説委員長を歴任。2024年より現職。