SMAP解散が放送作家引退のスイッチに 白武ときお×鈴木おさむが見るテレビの過去と今
いま、エンタメが世の中に溢れすぎている。テレビやラジオはもちろんのこと、YouTubeも成長を続け、Podcastや音声配信アプリも盛り上がりを見せている。コロナ禍をきっかけに、いまではあらゆる公演を自宅で視聴できるようにもなった。では、クリエイターたちはこの群雄割拠の時代と、どのように向き合っているのだろうか? 【写真】白武ときおと鈴木おさむの撮り下ろしカット プラットフォームを問わず縦横無尽にコンテンツを生み出し続ける、放送作家・白武ときお。彼が同じようにインディペンデントな活動をする人たちと、エンタメ業界における今後の仮説や制作のマイルールなどについて語り合う連載企画「作り方の作り方」。 第八回は、放送作家・鈴木おさむ氏が登場。放送作家として数々の人気バラエティ番組を手がけてきたのはもちろんのこと、ドラマや映画の脚本家、小説家としても活動し、妻の森三中・大島美幸との馴れ初めを書いた『ブスの瞳に恋してる』はドラマ化もされるなど、幅広い活動で注目を集めてきた。 ところが、2024年3月31日をもって放送作家業、脚本家業を辞めることを発表。鈴木が歩んできたテレビ業界とその現状を白武と語り合い、引退後の鈴木の活動についても話を聞いた。 ・“SMAPだけの人”と思われないように必死に食らいついた20代 白武:以前おさむさんがチーフの番組でご一緒したとき、会議の短さに驚いたんですよ。 鈴木:会議が長いのが嫌いなんですよ。僕は、大事なことだけ伝えたら、あとは各々が考えてくればいいと思うタイプ。詰めて話し合わなきゃならないときもあると思いますけど、最終的には、背負う人が苦労すればいいと思うので。 白武:背負う人が苦労すればいい、とは? 鈴木:頼まれた人がちゃんと責任を持つということですね。だから会議で必要なことだけ話したら、あとは各ディレクターにそのコーナーを背負ってもらう。究極、ディレクターやプロデューサーが優秀だったら放送作家っていらないじゃないですか。放送作家が優秀だったら、逆も然りです。 白武:確かにそうですね。そこを背負うには、周りからの信頼とか説得力とかもいりますよね。 鈴木:放送作家は本来、ディレクターのセンスの外のものを装飾していく内装屋だったはずなんですけど、だんだんその役割が変わっていきましたよね。放送作家が目立つ時代があったけど、最近は逆に「企画」としてクレジットに名前を出す局の人たちが多くなりましたよね。それは放送作家に対するアンチテーゼだと思っているんですよ。 白武:アンチテーゼですか。 鈴木:優秀なスタッフがいれば、ちゃんとできるんだよということ。僕が逆にABEMAとかで「演出」を名乗るのは、同じようにアンチテーゼだと思ってやっています。 白武:僕は高須(光聖)さんから「遠慮せずに放送作家主導で、演出的なところまでやっていくといいよ」とアドバイスしてもらって、なるべく自分がリーダー的ポジションになれる場所を優先するようになりました。たとえばおさむさんは、『クイズ!?正解は出さないで』(日本テレビ)では総監督という肩書きでしたよね。 鈴木:あれは土屋(敏男)さんが面白がって「日テレで演出やりなよ」と言うもんだからやったんですけどね(笑)。局としては嫌だったんじゃないかと思いますけど、数字がまあまあ良かったからなんとか。 白武:「嫌だと思われるかもしれない」と思って、ブレーキを踏むこともありますか? 鈴木:いや、それで新しいものを作ることができると思ったら、ブレーキは踏みませんね。その上で、関係者には最大限の礼を尽くす。それでもいろいろ言われたらもう、それは仕方ないです。 白武:おさむさんは、ハートがめっちゃ強いってことですか? 鈴木:いや、本当は誰にも嫌われたくないですよ。でも、そう思っているだけじゃ面白いものは作れないので。 白武:学生の頃からそういう気質だったんですか? 鈴木:この世界に入ってからですね。19歳でこの世界に入って、面白いものを作ることができる自信があったけど、いざやってみたら自分にはなにもないなと思ったんです。目の前の大人に認められないと、扉が開かない。そう気づいてから一気にスイッチが入りました。 白武:おさむさんはいろんな番組で顔出し出演をされていましたが、どこかのタイミングで有名になりたい、なったほうがいい、知名度を上げようという意識がありましたか? 鈴木:最初はそんなことなかったんですが、『つんくタウン』(フジテレビ)って番組の存在が大きかったですね。演出のタカハタ秀太さんが「君たち番組何本やっているの? 10本ずつくらいやっているでしょう。このド深夜番組でも君たちが出ていたら、少なくとも一緒にやっているスタッフたちの手が止まる。それってすごく大きなことだから」というんですよ。 いまとなっては当たり前になりましたけど、当時は新しい、面白いことを言うなあと思ったんです。だから『つんくタウン』に出たおかげで顔が知られるようになったし、認知度はある程度の武器になると思いました。その反面、世間からの目があるから叩かれることもあるけど、やっぱり有名になることのプラスはある程度まではあると思います。 白武:「放送作家といえば鈴木おさむ」と一番に想起されると思うんですが、凄い覚悟だなと思います。「さすがにここまでになるとしんどい」とか「あの人くらいの感じがいいな」といったことを考えましたか? 鈴木:目立ちたいとは思わなかったですけど、やりたいことはたくさんあったので、そのためには広く認知されたいと思いました。大島さんと結婚をして『ブスの瞳に恋してる』を書いてから、自分の人生はとても大きく変わったんですよ。 放送作家として「SMAPの番組といえば」と言われるくらいにはなっていましたけど、自分が書いた『ブスの瞳に恋してる』が売れて、ドラマ化することになって、“自分が書いたものが売れる”ということが作家としての自信につながっていきました。 白武:エッセイのヒットは自分の割合が高いので、チーム戦であるテレビとはまた違いますよね。SMAPさんと走り続けていくって相当ハードですよね。 鈴木:そうですね。みんな「SMAPと仕事をするからこそ、別で頑張ろう」と思うんですよ。SMAPという大きな船から降ろされたくないのと同時に、“SMAPだけの人”と思われないようにもしたいから。SMAPに関して提示されるお題はどれもやったことのないものばかりでしたけど、必死に食らいついて、そのおかげですごく筋力がついたと思います。 でも29歳のとき、ドラマ『人にやさしく』(フジテレビ)の脚本を書いたときに、鼻を折られちゃったんですよ。慎吾ママのドラマが当たったことでチャンスをもらって書いたんですけど、ドラマを書くための方程式みたいなものも分からなかったし、全然うまくいかなくて。 白武:そうなんですね。『人にやさしく』で、感覚を掴んだのかと思ってました。 鈴木:ドラマの脚本がうまくいかなくて自信をなくしたと同時に、自分はこのままでいいのかと考えました。だから自分が書くもので笑いをとったり、お客さんを呼べるようになりたいと思ったんです。 そのころ高校の後輩にマンボウやしろがいて、ライブに呼んでくれたんですね。それから芸人さんたちとも付き合うようになったら、「こんなに面白いのに売れていない人がいるのか」と思って。だから、腕はあるけどまだ人気はないような人たちに出てもらう舞台をやり始めたんです。 白武:他にもやり方はあったように思いますけど、なんで舞台だったんですか? 鈴木:テレビだけやっていると、どこか空虚な感覚になるんです。番組の人気があっても、本当に自分がいる意味はあるのか。自分がいなくても回るだろうとか思ってしまう。でも舞台をやるようになり、自分が全部の責任を負う立場になったことで、どんどん自信がついてきました。 宮藤官九郎さんの存在も大きいんですよ。僕が『人にやさしく』をやったときに、宮藤さんは『木更津キャッツアイ』(TBS)をやった。ネットの評判とかも見えるようになってきた時期で、『木更津キャッツアイ』に対する若者の評判がすごく良かったんですね。それで映画にもなって。 宮藤さんの作品は評判が良い上に、すごく自由にやっているように見えて、羨ましかったんですよ。嫉妬とかじゃなく、純粋にそういうの良いなと思った。だから、テレビバラエティをやりながら舞台をやってやるぞと思ったところはありますね。 白武:舞台って本当大変ですよね。脚本に加えて稽古も発生しますし。舞台じゃなくて、ドラマとかコントの脚本でも筆の力を上げられたと思いますか? 鈴木:絶対に上がらなかったですね。自分でいちからやって認められるものを作ると、テレビの人が僕のことを舐めないだろうと思いましたし。30代になるとポジションが変わって、自分で書く量が減ってくる。そんなときに舞台の脚本や小説を書けることは、自分の絶対的な自信につながりました。 ・仕事が仕事を呼ぶ 忙しいからこそ違うことをやる 白武:おさむさんより年下の40代前半くらいの放送作家さんが、チーフ作家になることが増えてきているように思います。後輩の作家に思うことってありますか? 鈴木:忙しいからこそ、テレビとは違うこともやってほしいと思いますね。局の人は放送作家を褒めてくれるかもしれないけど、局内での見え方としては絶対に自分の手柄が欲しいから。それは社員だからもちろん当然のことです。 放送作家としてテレビでやっていくと割り切るならいいけど、みんな才能があるんだから、いろいろやってみたらいいのにと思いますよ。 白武:テレビ番組の作家だと、個人の名前で出す作品がつまらないと言われることはあまりないと思います。だから、どうせ出すならちゃんとしたものを出したいが、それにしても忙しくて集中できない。「いつか書きたい」と思ってても、本当に書く人と書かない人の間には大きな川が流れていますよね。 鈴木:そう思います。僕の場合は舞台やドラマ、小説もマンガもやっていて、それはもちろん自分のためでもあるけど、後輩たちのためでもあると思っているんです。放送作家は優秀なんだから、もっといろんなことができるんだと言いたい。 白武:実際、おさむさんが表に出ることで、放送作家という仕事の説明にもなっているし、いろんなことをやっていいんだなと思えて、かなり勇気をもらっています。本当に感謝してます。 鈴木:たとえば、佐久間(宣行)さんよりも先にテレビを作る人が誰かYouTubeで売れててもおかしくなかったし、テレビ以外の場所で当てている人がいるのだとしたら、それはもっと発信していってほしいなと思います。 僕は放送作家や脚本家は辞めるけれど、今後もラジオとかに出てくれと言われたら出ますし、SNSでもちゃんと発信していこうと思っていますよ。昔から、毎日種まきをするとか、幅を広げるとか、新しいことをやるときには頼れる人にちゃんと頼るとか、僕はそういうところがあるので。 白武:僕もお笑いが好きでその領域のことをやりつつ、小説を書いたり、児童書を作っていたり、マンガの原作を書き始めたりしています。 鈴木:それは絶対に良いことだと思いますよ。成功したらもちろんいいし、成功しなくても厳しさを感じられるから。違うフィールドには、違う成功の方程式がある。そういう違いをたくさん感じてほしいです。あとは、なにかにつながっていく可能性もある。 たとえば僕がスターバックスさんと作った絵本『君だってサンタクロースかもしれない』。YOASOBIの「ハルカ」という曲の元になる小説『月王子』を僕が書いて、そこから派生した絵本『ハルカと月の王子さま』を作ったんですが、それをスターバックスの人が見てくれたことで実現しました。 白武:勝手に自分で持ち込んでプレゼンしたのかと思ってました。そんな仕事の繋がりとは…。仕事が仕事を呼んでますね。 鈴木:そういうことがあるから、やりたいことはとにかく言ったほうがいい。本当に誰かがどこかで見てくれているものなんですよ。スタッフでも、事務所の人でも、タレントさんでも、思っているよりも協力してくれる。あんまりスマートに生きようとしないほうがいいんじゃないかなと思いますよ。9人に文句を言われても1人は救ってくれたりするから。 ・SMAP解散がスイッチになった 白武:おさむさんは2024年3月31日をもって放送作家を引退されるそうですが、辞めようと思ったタイミングは過去にはなかったんですか? 鈴木:ありましたよ。SMAPが解散したときです。2016年1月18日に会見があってから、12月26日の『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ共同制作)最終回の放送まで、本当にしんどかったので。それでもまだ『SmaSTATION!!』(テレビ朝日)や『おじゃMAP!!』(フジテレビ)とかもあったから、なんとか続けられていました。あのとき慎吾の番組も終わっていたら、辞めてしまっていたかもしれないです。 あのときは傷ついたし、しんどかったし、いろんなことを思いました。それは僕だけじゃないし、もちろんメンバーが一番そうだとは思います。『SMAP×SMAP』はスタッフだけの打ち上げもやりましたけど、みんな、なんとも言えない思いがすごくありました。 白武:SMAP解散については『文藝春秋』2023年1月号に、小説『小説『20160118』』として書かれていましたよね。あれには驚きました。 鈴木:もともと付き合いがあった文藝春秋の新谷(学)さんから「SMAP解散のことを小説にしてほしい」と言われたんですよね。さすがにいい加減にしてくれと言ったんだけど、それが載るのが『文藝春秋』100周年号だと言われて、「作家」として自分は書かなくていいのかという気持ちがあったんです。それに、新谷さんから「記すこと、残すことも大事ですよ」と言われて。 白武:なるほど、そういった背景があったんですね……。発売時に読んで驚きました。これどうなっちゃうんだろうって。凄い喧嘩をはじめるのか、辞める覚悟があるんだろうなと、勝手にもの凄い重みを感じながら拝見しました。 鈴木:僕はSMAPのファンの人たちへの思いもあって、作家として記すべきだと思ったんです。でもいざ書き始めたら、中居さんが休養したり、King&Princeのメンバーの脱退があったりして、本当に書きながら苦しかった。 でも、もしこれで書き終えて何かあっても本望だと思ったんです。それはもう、放送作家としての寿命だと。あれを書き終えたことが、放送作家を「辞める」ことを考えるひとつのスイッチだったかもしれません。 ・放送作家としての仕事をやり切って新しいことをしたい 白武:僕は2000年代、小学生、中学生くらいのときにテレビにのめり込んで熱心に見ていました。サブスクでその時期のバラエティを見つけたらついつい見てしまいます。思い出補正なのか、画質が荒いからなのか、ワクワクさせるパワーが画面から出てるなと。 鈴木:自由でしたよね。コンプライアンスもそうだけど、人々のテレビに対する意識が違った。 白武:2010年代になったら情報番組というか“ためになる”番組の時代になって、最近またお笑いブームというか楽しげな雰囲気になっていますけど、僕が10年前に放送作家を始めた頃は、いまほど「予算がない」と言っていなかったと思うんです。そういった変化で、おさむさんのテンションは変わりましたか? 鈴木:僕に関しては、舞台を自分でやったことで「お金がないなら、ないなりにできることもある」と考えられるようになっていたから、特に変わりませんでしたね。 舞台は、チケットが売れなかったら主宰の自分が赤字を全部背負うことになる。それってヒリヒリするじゃないですか。テレビの仕事だと、普段はそんなこと考えない。ありがたいですよね。でも考えるようになったからこそ、本当に予算を気にしなくなりました。 ただ、お金のこともそうだし、コンプライアンスのこともありますけど、テレビでできることの種類が絶対的に少なくなっているじゃないですか。 白武:子供の頃にはあったけど、無くなっているジャンルは多々ありますね。 鈴木:ABEMAの『恋愛ドラマな恋がしたい』も、Netflixで配信する『極悪女王』も、予算があるんですよ。でもそれは「すごい予算で作りたい」という気持ちから始まったわけじゃなく、今やりたいことを考えたらそうなった。 白武:なるほど……。スケール感よりも、おさむさん自身が面白いと思うかどうかが軸になっていて、それはずっと変わらない。 鈴木:そうですね。『極悪女王』は、前に『いまだにファンです!』(テレビ朝日)って番組をやっていたときに、ダンプ松本さんと長与千種さんのファンが出てきて、長与さんのファンが「髪切りマッチ」を観て未だに号泣するっていう場面があったんです。 それを見たときに「これは面白い! ドラマにしたい!」と強く思ったんですよ。これはテレビじゃ無理だなと思ったから、Netflixに提案しに行ったんですよ。ダンプ松本さんと長与千種さんが血まみれになっている写真があって、それを表紙にして、3枚の企画書を作りました。 それを持っていったら、「これはドキュメンタリーですか? バラエティですか?」と聞かれて、ドラマとしてプレゼンをしたら「それなら面白い」と言っていただけた。表紙の写真の存在が大きかったと思うけど、そこに自分の熱量を込めたから。だから、やっぱり自分がワクワクしているかどうかが一番重要だと思います。 白武:悔いはないということで、放送作家を辞めるということですが、いまおさむさんがテレビに対して思うことってどんなことですか?こうした方がいいとか、こうできたら良かったなとか。 鈴木:いまのテレビは時代に合っていないと思います。一番そう思うのは、データの出し方。この時代に視聴率ってものでしか評価されないなんて、さすがにまかり通らなくなってきているじゃないですか。基準が崩壊してみんながあたふたしている。 白武:局ごとにも狙っているコア(個人視聴率)が微妙に違いますし、ネットで話題になること、TVerのランキング1位がどれくらい凄いことなのか、誰の言ってることを信じてやっていくのか迷いますね。 鈴木:早く、視聴率100%が何人なのか発表したほうがいいと思いますよ。そうしてテレビの現実を剥き出しにしたほうが、逆に「テレビってすごいな」とみんな思うんじゃないかなと。戦後の日本の歴史と深く関わっているから無理なのかもしれないけど、それでコア(個人視聴率)とかみんなが都合の良い数字を言い始めたら、それはもう無理ですよ。 白武:数字のことはわからないですがNetflixで作品を出すっていうのは憧れます。『極悪女王』が公開されて国内外でヒットしても、また新たなものを作りたいってならないですか? 鈴木:いまは抱えている放送作家としての仕事をやり切って、新しいことをしたい気持ちが強いですね。51歳から新しいことを始めて、やってもうまくいくかはわからないし、やりたかったらまた戻ればいいとも思うんだけど、どちらにせよなにかやりながらでは絶対うまくいかないと思うんですよ。 白武:すっぱり辞めて、新しいことを始められると。若者の応援をする、と話されていますよね? 鈴木:僕の事務所の地下をフリーのシェアオフィスにしてるんですよ。なんか本当に、昔のテレビを作ってた奴らみたいなのばかりがいる。根性次第で1000億円企業になれる、とギラギラしているんです。 テレビのなかだともう、できることに限界があるじゃないですか。でも違うところだったら、もっとできることがあるというか。些細なことかもしれないけど、いまの僕が若い人たちに対してできることがあるかなと思っているんです。 白武:めちゃくちゃ楽しみです。放送作家という職業である間に、おさむさんとお話できて嬉しかったです。ありがとうございました。
鈴木 梢
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