49歳自営男性「妻に搾取されている」子供を作ってかかった“予想外の支出”とは? #令和の親 #令和の子
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。 【画像】「なんでこんなに溜まってんの?」妻の家事に不満をこぼす夫 第10回は、個人事業主の49歳男性。地方で妻とふたりの子供と暮らしながら、家庭不和が生じている理由とはいったいなんなのか。
#10前編/ぼくたち、親になる
西日本の某県に住む屋敷満さん(仮名/49歳)は、海外の工芸品を中心とした雑貨店を営む個人事業主。妻・芳恵さん(仮名/38歳)との間に、16歳と15歳の息子がいる。 屋敷さんは若いころ、かなり活動的だった。地元の進学校から某国公立大学に進学すると、バイト代を貯めて中古車を購入し、全国津々浦々を走破して北海道以外をすべて制覇。また、当時流行っていたバックパッカーとして、東南アジアの国々やインドをひとり旅で巡った。 社会人になってからは、さまざまな職業を転々とした。旅行雑誌のライター、子供向け英会話教室の講師、県内の観光地にある訪日外国人向けインフォメーションセンター、輸入雑貨店のバイヤー兼販売スタッフなど。10年ほど前に独立して店を構え、現在に至る。 そんな屋敷さんの家庭に生じている不協和音の原因は、「お金」である。 ※以下、屋敷さんの語り
次男を保育園に預けられない
芳恵と結婚したのは僕が32歳、芳恵が21歳のときです。その1年半くらい前から交際していましたが、当時の彼女は医療系専門学校の学生でした。僕が勤めていた輸入雑貨店に事務のバイトで来ていたんです。卒業後、芳恵は地元の病院に専門職として就職し、翌年結婚しました。 僕と芳恵は、結婚を決めたときから「子供はふたり欲しい」で意見は一致していましたが、当時の僕の収入だけで一家4人を養い続けるのは無理でした。 ただ、芳恵は当時21歳。早いとこふたり作って仕事に復帰しても、余裕で20代です。第二子が保育園に入ればパートにも出られますし、小学校に入れば定時退社の病院勤務も可能でしょう。 芳恵は、とある医療系の国家資格を持っていたので、就職口の心配はありませんでした。しかも、その資格を持って病院に勤務すれば、手取り24~25万はもらえる。地方の片田舎に住む僕らにとって、この収入はかなり大きい。 僕自身、多少の蓄えはありましたから、それを切り崩しながら、シングルインカムで3年か4年持ちこたえればいい。そんな計画を芳恵と立てたんです。 ところが、計画どおりにはいきませんでした。 年子として生まれた次男が、ある慢性疾患を持っていたのです。そのため保育園に預けることができず、頻繁な通院も必要となったため、芳恵は職場復帰はおろか、パートにすら出ることができなくなりました。 僕の収入だけで家計を回すのは期間限定だったはずが、終わる見込みが見えない。一方で、勤務していた輸入雑貨店のほうも、この先給料が劇的に上がることなんて絶対にない。 詰んだ、と思いました。