県立浦和 本田哲也監督#1「勉強もスポーツもとにかくすべてのことに頑張ってやってほしい」【文蹴両道】
浅見俊雄・国立スポーツ科学センター初代センター長、犬飼基昭・第11代日本サッカー協会会長、村井満・第5代Jリーグチェアマン……。浅見、倉持守三郎、藤井泰光の3氏は、当時7人しかいなかった日本人の国際審判員としてほぼ同時期に笛を吹いた。埼玉県立浦和高校サッカー部の卒業生は、サッカー界で活躍し功績を残した先人が大勢いる。 【フォトギャラリー】県立浦和 本田哲也監督 学問を尊び、武に打ち込むことを提唱した「尚文昌武」の校訓の下、勉強と部活動を両立する埼玉きっての進学校でもある。50㌔を完走する初秋の強歩大会は、戦前から続く伝統の体育行事だ。 サッカー部は全国高校選手権で3度頂点に立った古豪で、現在指導するのが浦和高51期の本田哲也監督だ。「尚文昌武」とともにどんな教育方針、指導方針を励行しているのか。就任7年目の指揮官に尋ねた。 ――本田先生が浦和高校に進学した理由をお聞かせください。 実を言うと第一志望は自宅から近い大宮だったのですが、担任の先生から浦高を勧められ推薦試験で合格したんです。 ――どちらの高校に進んだとしても、サッカーは続けたのですか? 浦高でサッカーをやるんだ、という熱量で入学したわけではありませんが、サッカーはやるつもりでした。でも、浦高がそこまで強いなんて思ってもみなかったので、入ってからびっくりしました。当時は関東選抜選手や県の選抜選手も何人かいましたし、2つ上の先輩は全国高校選手権2次予選リーグで、3つ上の先輩も全国高校選手権1次予選で、いずれも埼玉を代表する強豪の武南に勝ったほどでした。 ――先生が在学していた当時と今の浦高生の気質で、顕著な違いはどこにあると思いますか? 私が赴任した7年前からの比較になりますが、勉強をはじめ学校生活にきちんと取り組む生徒ばかりで、随分とまじめになったなあと感じました。もちろん勉強もしましたが、私たちの頃はサッカーだけに没頭する生徒が多く、学年で優秀な成績を残す者は少なかったと思います。学校側も今より大らかで、大学には1浪して行く雰囲気がありましたね。今の生徒はすべてにおいて一生懸命やっているのですが、その分、おとなしくてまじめで小さくまとまっている印象があります。私の頃は、何かにつけてとがっている生徒が多かったですねえ。 ――「尚文昌武」という校訓を掲げていますが、選手にも意識づけしているのでしょうか? 文武両道ということですが、学校の中にいるとこの言葉にこだわるというより、勉強もスポーツもとにかくすべてのことに頑張ってやってほしいという思いしかありません。社会に出るとすべてをやってきた優秀な人がいて、そういった人たちと肩を並べるには、君たちも同じように全部やり切らないといけないぞ、というイメージで伝えています。 ――浦高生だからこそ、という指導方針はありますか? 赴任当初はすべてを管理的にやらなきゃという義務感がある一方、“だけど浦高生だしな”という思いもあってそのバランスが難しかったですね。自分が伝えないと、教えないといけないという気負いがあり、指導にも余裕がなかった。でも最近は、 もっと生徒に任せてもいいかなと思えるようになりました。だからサッカー「を」教えるというより、サッカー「で」いろいろなことを教えるという考え方に変わってきたのです。考え抜く力を持った生徒が多いので、自分たちで話し合って導き出した答えというのは、指導陣の考えを超越することもあります。そばで見守り、必要な時に私が培ってきたものを伝えるやり方が、ここ2、3年でようやくできるようになりました。赴任して1、2年は選手の力をあまり伸ばしてあげられず、申し訳なかったと思っています。 ――練習や試合を通じて考えるヒントを提示しているのですか? そうです。「こうやればこうなるよ」という伝え方より、「君たちならここまではいけるんじゃないか、こういうこともできるんじゃないかな」とシンプルに提案し、そこに向かうためには何が必要なのかを自分たちで考えてもらいます。