伝説の汐留から34年 「電流爆破」と生きてきた日々…シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実(59)
FMWと大仁田厚の名前を一気に全国区に押し上げた1990年8月4日、東京・汐留レールシティでのターザン後藤さん(22年死去、享年58)との伝説の一戦「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」。 プロレス専門誌の表紙に「わかったから、もう、やめてくれ」というコピーが躍り、「涙のカリスマ」という言葉も生まれた世紀の一戦から34年が経過した。 2019年には特許庁で商標登録として受理された大仁田の代名詞「電流爆破」。 「汐留の電流爆破から30周年の記念に商標登録した。登録まで時間がかかったけど、うれしかった」と振り返った大仁田は「もう34年か…。あんなのプロレスじゃないっていう否定から始まったけど、否定から始まるものって確実にある。俺にとって、電流爆破は対世間、対プロレスに対する反抗だった」と、きっぱりと言い切る。 リングサイドに有刺鉄線を絡みつかせた大判の板を敷き詰め、それに振動を加えることで爆発する大型爆弾を設置した「有刺鉄線バリケードマット地雷爆破デスマッチ」、金網プラスリングの2面に有刺鉄線電流爆破、残り2面に地雷を設置した有刺鉄線ボードを置き、試合開始後15分でリングサイドの時限爆弾が爆発する「有刺鉄線電流地雷監獄リング時限爆弾デスマッチ」、超大型時限爆弾をリングサイドに設置した「ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ」、当時の全日本プロレス・オーナーに爆弾を巻き付けての「ノーロープ有刺鉄線メガトン電流爆破&史上初! 人間爆弾デスマッチ」―。 思いつくままに様々な「電流爆破マッチ」を考案、実践してきた。有刺鉄線を巻き付けたバットに電流が流れるようにした上、爆弾まで貼り付けた「電流爆破バット」を試合に導入。以前のような大規模な特殊リングやセットを設置しなくても「電流爆破」の凄みが伝わる試合を展開している。 実際、狭い会場では、電流爆破バットでの殴打の瞬間の衝撃音、電光、そして火薬の匂いや煙が観客にダイレクトに届き、大仁田がこだわり続ける痛みの「リアリティー」が、より伝わりやすくなったのだった。 「地方大会でも電流爆破を見せたいけど、コストがかかって大がかりな仕掛けができないこともある。だから、手軽に持ち運べる電流爆破バットを思いついたんだけど、殴られた瞬間に爆発するから衝撃はすごいし、本気で吹っ飛んで動けなくなる。一方で対戦相手とのバットの奪い合いも加わって、試合の中でのバリエーションは広がったんだよね」と、プロデューサー的視点からコメント。 「爆破が近すぎて鼓膜が破れて耳が聞こえなくなったり、気づいたら腹を真っ黒にやけどしていたり。でも、もともと人を驚かせたり、喜んでもらえることが好きだからさ。電流爆破を初めて見たお客さんの反応って一瞬、呆気(あっけ)にとられた後で、なぜか手を叩いたり、笑い出すんだよ。なんでだろうな? あまりにびっくりすると、人って、なぜか笑うんだよ」とニヤリと笑った。 「エンターテインメントは、お客さんの想像を超えたものを見せないとって、いつも思っている。アッと驚かせたいし、怖がったり興奮して非日常の時間を楽しませたいと思っている。電流爆破は五感を刺激する面白いコンテンツだと思うよ。それはお客さんにとっても、リングに上がるレスラーにとってもね」―。 心底、楽しそうにそう言った「邪道」は66歳になった今、「常に両肩は痛いし、右腰も痛いし、両ひざもガタガタだし」と満身創痍をぼやきながらも、リング上で文字通り、“爆発”し続けている。 「初めて電流爆破を見た人って、みんな、びっくりするよね。普通にプロレスを見に来た人が爆破のインパクトにびっくりして、それを人にしゃべって、SNSにも上げる。一部の人たちが『あんなのプロレスじゃない』って否定から入るのだって折り込み済みだよ」と言い切ると「電流爆破を好きなヤツも嫌いなヤツもいるけど、嫌いって方に俺は逆に可能性を感じる。悪口を書き込む人だって、興味がなかったら書き込まないわけだからさ」と続けた。 そんな思いのまま、自ら考案した「電流爆破」を古巣・全日本プロレスにも、国内最大の団体・新日本プロレスにも、数多(あまた)ある団体のリングに上げ続け、想像もしなかった電流爆破デスマッチを実現させてきた大仁田。 「(アントニオ)猪木さんは必死でプロレスをメジャースポーツだと言っていたよね。理想は確かにそうだけど、プロレスの頂点じゃなく底辺にいると思っている俺は、プロレスは大衆文化だと思っている」―。 決して卑下することなく、そう言い切ると、「カッコ悪いカッコ良さってあるじゃないですか? 電流爆破を食らって動けなくなるのも、みじめに負けるのもプロレス。そんな試合が全8、9試合の中に1試合あってもいい。だから、俺は電流爆破にこだわり続ける」―。きっぱりと続けた。 「俺は自分が生きていく中で、自分がやりたいことをやっているだけだと思う。間違いだらけの人生かも知れないけど、自分で決断して、自分でケツを拭いてきたのは確かだよ」―。 そう胸を張った「邪道」が今、16歳で始まった自身のレスラー人生50年への思いのすべてを語る。(取材・構成 中村 健吾) * * * * * * 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。
報知新聞社