能登半島地震報告ブースも 福島・南相馬市の健康福祉まつり
福島県南相馬市の健康福祉まつり(実行委員会主催)が19日、原町区福祉会館を中心に開かれた。東日本大震災から14年。市社会福祉協議会(佐藤正彦会長)が運営するボランティアフェスティバルの会場(小川町体育館)では1月の能登半島地震支援を報告する団体も目に付いた。 まつりにはNPO法人「あさがお」や就労継続支援B型「自立研修所えんどう豆」、悩み相談の「こころのケアセンターなごみ」、理学療法士会といった健康や福祉に関連する23団体が参加。障害者らの栽培する野菜などを使った食品販売のテント屋台も並んだ。 ボランティアフェスティバルには、東京のマッサージグループ(鍼灸の国家資格を持つ全盲の2人)が、コロナ禍や福島県沖地震(22年)などによる「まつり中止」をはさんで6年ぶりに参加(南相馬での現地支援としては2年ぶり)。地元の手話サークル「耳通口」、民生委員児童委員協議会、保護司会など15のブースが連なり、このうち日赤奉仕団、一般社団法人カリタス南相馬は1月に発生した能登半島地震支援の活動をパネル展示した。 能登支援については南相馬市社協も全社協の呼び掛けに応じ、北海道・東北ブロック派遣の一員として「3・11で全国から支援を受けた恩返しにと手を挙げた」(青木圭太市社協地域福祉課長)。5月末から6月にかけ1週間、原発を立地する石川県志賀町の社協ボランティアセンターへ応援に入った佐々木智洋同課長補佐(40)は「家具の片づけなどニーズの聞き取りに1日10軒ほど回った。半壊以上の家屋が多く、3・11に比べてボランティアの数も少ない」と言う。9月に能登豪雨のダブルパンチに見舞われているが、「過疎化と高齢化も重なり、産業を含め復興には時間がかかると感じた」。 一方、現在の南相馬市の人口は、震災前の約7万1000人のほぼ8割の約5万6000人(高齢化率37%)に回復している。避難者用の応急仮設住宅はすべて撤去され、全国から駆け付けたボランティアの姿も今はない。 しかし、門馬和夫市長は「地震、津波、原発、(放射性物質による)風評の四つの被害対策のうち最初の二つは終わり、原発の避難対策も済んだが、心配な人は戻っていない。風評被害は続いている」と取材に答えた。特に原発から20キロ圏内の小高区住民は3割ほどの約3800人(高齢化率50%)にとどまっており、「IT、デザインなどに携わる若い人たちを支援していきたい」という。