名古屋ボクシング界に活気……3階級王者、森武蔵、畑中Jrのホープ2人
少し両肩を上げガードの内側から目を光らせながらジリジリユサとプレスをかける。その姿に、27年前に名古屋初の世界王者となった父のスタイルが重なった。 9月25日、日本フライ級12位の畑中健人がアプリリャント・ルマーパサル(インドネシア)に5回1分56秒TKO勝ち。初タイトルを獲得した。2回に右のストレートで最初のダウンを奪うと、5回には左のボディアッパーを効かせ、ロープを背負わせたまま猛ラッシュ。戦意喪失を認めたレフェリーが試合を止めた。 「ユースのタイトルは通過点だと思っていたけれど、取ると嬉しい。KOは意識していたが、止めてくれて良かった」 実は2回に足が攣った。緊張もあったのだという。 「不安があったので早く倒せて良かった」は本音だろう。 元世界王者の父はボクシング転向に強く反対していた。 1998年5月11日生まれ。父が引退して7年後に生まれた子供だから、その現役時代は知らない。そもそも健人に、その気はなく、小学生の低学年からは器械体操をやり、小6年になってゴルフを始めていた。 「プロゴルファーになるつもりでした」。 だが、体に埋め込まれたDNAには逆らえない。ふと手に取った一枚のDVDが運命を変える。 父の現役時代のキャンプから試合までを追った古いドキュメント番組を見たとき、格闘家一家の血が騒いだ。 「凄く印象的でした。そこにいる父は、普段のとても尊敬できないような父とは全然違っていたんです(笑)。ギャップが衝撃で。これだと思った」 それが中学1年の終わり。だが、1年間、言い出せなかった。意を決して、父に「ボクシングをやりたい」と訴えたとき、「毎日、走れるのか。1日でも休んだら止めろ。それを守れるならやっていい」と、条件をつけられた。 ジムに行った初日にスパーをやらされた。当然、ボコボコである。 「辞めさせるつもりだったんだと思うんです」 だが、それは逆効果だった。 中京高校に進み、世界挑戦経験のある石原英康監督の指導を受けて、国体で3位、選抜で8強に入るなど、アマチュアで42戦32勝(6KO)10敗の実績を積み、高校3年の2016年11月27日にプロデビューした。奇しくも、その日は、1984年に父がプロデビューした日と同じ日だった。 そこから7戦全勝でユースのタイトルを獲得した。 試合前には、また、父のDVD映像を見た。 「モチベーションが上がるんです。共通点をみつけようと」 それでも、理想とするボクサーは、父ではなく、メキシコの英雄、元3階級王者、フリオ・セサール・チャベスである。 そこは現代っ子だ。 現役時代に畑中ジム所属だった元東洋王者で、現在ジム経営をしている中野博氏はセコンドにつくが、「畑中会長の現役時代に似ているよね。左ボディの打ち方など、うりふたつ。スピード、テクニックだけでなく、パンチもある。将来、間違いなく世界王者になれる素材だと思う」と評する。 それでも畑中Jrに“階段飛ばし”で日本初となる親子世界王者の名誉を手にするつもりはない。 「世界? 今の実力で世界なんかまだまだ見えない。そんなに甘くないことはわかっている。早くランカーとやりたい」 まだ20歳。来年には、世界へのステップとして、まず東洋、日本タイトルへの挑戦を目論んでいる。 名古屋のボクシング界を活気づけている大物のホープ2人。世界が彼らを手招きしているのである。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)