「手術しなければ20歳まで生きられなかった」スギちゃんの病弱だった幼少期 半年間の入院で芽生えた「お笑い芸人への熱い思い」
■入院中は漫才のテープを何度も聴いて ── そんなつらい経験をしたのに、お笑い芸人ポジティブな笑いの道にどう進んでいけたんでしょうか。 スギちゃん:性格的にもともと明るかったのもあるんですけど、そのときの入院が予想外に長引いてヒマだったんです。最初は数週間で退院できる予定だったんすよ。でも、手術したことで肝臓の数値が上がってしまって、それを下げなきゃいかんということで、半年ぐらい入院しました。 自由な時間がたっぷりあったので、漫才のテープを何度も聴いて。そこから「自分もお笑い芸人になりたい」という思いが芽生え始めたんです。当時からお笑いを見るのは好きだったんで、親父が漫才を放送していているテレビ番組を、カセットテープに録音して持ってきてくれたんですよね。そこからどっぷりお笑いにハマっていった感じですね。
── 入院がきっかけだったんですね。 スギちゃん:もともとお笑いには多少興味はあって、正月に「なんばグランド花月」に家族で行って「カッコいい世界だな」とは思っていたんです。一度、客席の子どもが舞台に上げてもらえてトランポリンに乗れるっていうコーナーがあって。「やりたい人」って言われて、俺、手をあげたんですよね。 そしたら、トランポリンに脚がはまっちゃって、それで観客が笑ったんですよね。それが気持ちよかった、っていう思いもありました。その後、入院生活を経て、芸人になりたい思いが決定的になった感じですね。
退院後にまた「なんばグランド花月」に行ったら、グッズの売り場にたまたま「芸人になるための道」みたいな本が売ってたですよ。それを買って、卒業文書にもその本を抜粋して「お笑い芸人になるためには」みたいに自分の夢を書いてましたね。
■手術中泣いていた母…親になった今はその気持ちがよくわかる ── 入院中、気持ちの支えになったのはどんなものだったのでしょうか。 スギちゃん:たしかに手術までは怖さしかなかったし、入院中は寂しく思うこともあったんですけど、手術後は正直、入院生活を楽しんでいたんです。病院内には季節ごとの行事があって、ひな祭りのときに、俺がお内裏様の格好をして、同じくらいの年齢の女の子がおひな様の格好をしたりした記憶があります。