SuchmosのMVやライブ演出の裏側とは? YONCE×映像監督・山田健人が思い出を語る
Suchmosのフロントマンで、現在はHedigan’sでも活躍するSuchmos・河西“YONCE”洋介が、映像監督の山田健人との出会いやミュージックビデオ撮影時のエピソードを語った。 2人がトークを展開したのは、J-WAVEで放送中の番組『THE PLAYBACK』(ナビゲーター:山田健人)。オンエアは5月31日(金)。YONCEは2週続けて同番組に出演した。
出会いは「怖カッコイイ」姿だった
山田は「さだかではないけど」と前置きしつつ、大岡山にあったライブハウス「PEAK-1」で、河西がバンドOLD JOEのボーカルとしてライブをしていたのを観たのが出会いだったのではないかと振り返る。 山田:そもそも僕は大岡山の横の駅に住んでいたからね。そんな近くにそういうものがあると俺も知らずに18年ぐらい生きてきて、初めてのライブハウスという感じでした。そこで出会ったというか、僕がライブを観ていて。当時は金髪、柄シャツ、ガリガリ、肌白、絶叫みたいな感じで(笑)。 YONCE:ドクターマーチン履いて「飯はピーナッツバターしか食っていません」みたいな感じでした(笑)。 山田:「怖カッコイイ」という感じだったね。駅の逆サイドの2階にある居酒屋で、打ち上げみたいな状況で話したのが最初だと思う。 YONCE:俺、ちょっと先輩面していたと思うよ。 山田:1つ歳が上ですから。 YONCE:「デザインとかできるんだ? へえ~」みたいな(笑)。 山田:間違いない(笑)。それで、すぐに撮ったもんね。 YONCE:わりとすぐにお願いしたんだよね。ミニアルバムを作って、そこで使うアートワークを、ダッチ(山田の愛称)に「やってよ」と。 山田:それが最初の作品作りということに、一応なっちゃう。 YONCE:フライヤーみたいなのを作ってもらったりしていました。 山田:とにかくライブハウスでよく会っていました。 YONCE:共通の友だちがいてね。 山田:「Suchmosが始まりますよ」という話も、僕の記憶が正しければYONCEから言われたと思う。日吉の……東横線が好きだね(笑)。その当時は東横らへんに住んでバイトとかしていたもんね。日吉のドトールに呼びつけられて「Suchmosというのをやるから、ロゴやホームページをやってよ」という感じだった記憶があるな。 YONCE:今動いているSuchmosのホームページもダッチの友だちがやってくれているんだよね。 山田:そうだね。そのときは「Suchmos、へえ」という感じだったけど。Suchmosの最後の「s」が「z」だった時代。 YONCE:まだ4人組だったしね。 山田:そのあとの2015年ぐらいからSuchmosが活発化していって、メンバーが6人になったというタイミングで『YMM』のミュージックビデオを撮ったのが、一応初監督作品というか。僕も普段、自分の監督キャリアを「いつからですか?」みたいに訊かれたときに、OLD JOEの頃の「勢いで撮っている系」とか細かいものはいろいろあるんだけど、区切りがあまりよくないから、「Suchmosの『YMM』が最初の監督作品です」ということにしています。 YONCE:Suchmosにとってもそう。公の媒体やメディアに出た映像は『YMM』が最初なので。 山田:そこからミュージックビデオはSuchmosで言うと『YMM』、『GIRL feat. Ryohu』、『STAY TUNE』、『PINKVIBES』、『Wiper』、『808』、『In The Zoo』などなど。 YONCE:みんな思い出深い。