「乃木坂といえば、生駒さん」立憲民主の枝野代表も推した、生駒里奈の功績
乃木坂46の生駒里奈が22日、日本武道館で行われた卒業コンサートを無事終えて、新たな門出を迎える。白石麻衣、西野七瀬ら主要メンバーも号泣するなか、「ただの素人をここまで育ててくれてありがとう」と、ファンに別れを告げたという。
「ここだけじゃ足りない」22歳になった生駒の思い
生駒の卒業が報じられたのは、1月末のことだった。自身のブログに、 「今年、同学年の方は新社会人として新たな挑戦をする年です。20歳になった頃から、大人として一人で生きていくためにはどうしたらいいのか、具体的に自分のこれからを考えた時に私はこのままでは足りないなと、プラスで自分を高めないといけない。ここだけじゃ足りないと思う様になりました」と、思いをつづった。 22歳になった生駒は、同年齢の周囲の友人などを見て、思うところがあったのかもしれない。周囲の友人たちが大学を卒業する年齢というのは、アイドルにとって大きなターニングポイントになり得る年齢だ。グループにいたままではできない活動に乗り出していく者もいれば、いったん芸能活動とは距離を置いて自身を見つめ直す者もいるし、あるいは区切りをつけて引退し、芸能とはまったく別の道を歩む者もいる。
2011年の結成当初からグループを牽引する中心的存在
生駒のいない乃木坂46は想像できないというぐらい、2011年の結成当初からグループを牽引するような中心的存在だった。卒業が発表された日、アイドル好きで知られる立憲民主党の枝野幸男氏も定例会見でこの話題を振られ、「個人推しでは白石(麻衣)さんや西野(七瀬)さんなどの推しが多いかもしれないが、乃木坂といえば生駒さん、というのが共通認識だと思う」として、創生期の厳しい時期を支えた生駒の功績を称えていたが、間違った見方ではないように思う。
乃木坂46の1期生のオーディションに合格 1stシングルでセンターに抜擢
秋元康氏プロデュースで、AKB48の公式ライバルを謳い誕生した乃木坂46だが、生駒は1期生オーディションの合格者で、合格後に地元・秋田から東京に転居してきた。そして翌12年2月リリースの1stシングル『ぐるぐるカーテン』でセンターを務めた。その後も順調にキャリアを重ね、14年のAKB48グループ大組閣では交換留学生としてAKB48兼任が決まった。同年の「AKB48選抜総選挙」にも出馬、堂々14位の成績で選抜入りを果たしている。この時点で、乃木坂46はAKB48のライバルとして、AKB48を食いかねない勢いをみせることに成功した。紅白出場も果たし、15年には初の主演映画『コープスパーティー』、16年には初ソロ写真集『君の足跡』がオリコン週間ランキング写真集部門で1位を獲得した。17年には乃木坂46『インフルエンサー』がミリオンを達成するとともに、レコード大賞に輝いた。ひとつの頂点に立ち、アイドルとしてはひと通りのことをやりきった感があるのだろう。 乃木坂46自体、シングルは軒並みミリオンを記録するようになり、ソロ写真集が爆発的にヒットするメンバーも出てきた。ファッションで活躍するメンバーもいれば、バラエティーや舞台で活躍するメンバーもいる。アイドルグループ史上に残る名グループといえるまでに進化した。もう生駒がいなくても、なんの心配もないところまで達してきた。
卒業後は「エンターテイナーになりたい」
卒業コンサートではダブルアンコール前に秋元康氏からのコメントが流れ、その後に登場した生駒は、「私は自分のためには頑張れない。何かのためにしか頑張れないです。こんな私をこれからもよろしくお願いします!」と、頭を下げたという。乃木坂46のためにすべてを捧げてきた生駒だが、今後は「わがままだけど、この先に続く夢をつかみたい。心の底から楽しんでもらえるエンターテイナーになりたい」という生駒自身の言葉通りに歩み続けて行くのだろう。超一流のエンターテイナーへ、生駒のさらなる成長に期待したい。 (文・写真:志和浩司)