道路建設に向けた試掘調査で偶然発見…当初は取り壊しの予定も 高尾山古墳が国史跡に指定へ 静岡
取り壊しから一転…道路との両立へ
一方、この高尾山古墳が取り壊しの危機に瀕していたことは沼津市民以外で知る人は多くないだろう。 前出の通り、高尾山古墳は道路の建設予定地に位置していた。こうした中、沼津市は発見から10年後の2015年5月、従来の計画通り「古墳を取り壊して道路を建設するため、年度内に古墳を削る発掘調査を再開したい」との意向を固める。 しかし、これに待ったをかけたのが日本考古学協会だ。「古墳文化の形成を解明する上で極めて重要」として事業の見直しと保存を求める声明を出すと、翌6月には3つの市民グループが発足し、「高尾山古墳を何としても市民が守り、存続させなければいけない。それが沼津市民の全国の国民に対する責任」と市議会に取り壊しを止めるよう要望。 また、当時の川勝平太 知事までもが「なぜ今のように破壊する、保存するという二者択一になっているのか不思議で、全部を破壊するという考えを私は持っていない」との見解を示す。 これには沼津市も再考を余儀なくされ、都市計画の専門家による協議会などを開催し、最終的には古墳を壊すことなく残した上で、建設を計画する4車線道路の内、東側2車線を橋梁に、西側2車線をトンネルにする案を新たな整備方針とした。 高尾山古墳は今後、官報での告示を経て、正式に静岡県内で45件目の国指定史跡となる。 当時は市議会議員として、古墳発見の経緯や2015年の“存廃騒動”を見てきた沼津市の頼重秀一 市長は「高尾山古墳は本市にとって歴史的に貴重な財産であったが、国の文化財として指定されることによって、学術的に価値のある重要な古墳であることが改めて認識されたものと感じている。今後も高尾山古墳をはじめとした本市の歴史文化遺産をさらに活用して、“誇り高いぬまづ”を実現できるよう市政運営に努める」とコメントしている。
テレビ静岡