【障がい児を育てながら働く⑥】4歳でようやく保育園へ。朝は療育施設、午後から保育園へ通う日々も綱渡りは続き...
「お母さん、できることなら働き続けた方がいい。障がい児も受け入れている保育園を探してみて」 【セミナー動画】「障がい児を育てながら働く綱渡りの毎日」「取り残される障がい児・医療的ケア児の親たち」 復職のため、上の子の保育園をどう探したらいいか相談に行った区役所の窓口の女性に、開口一番、背中を押されました。障がい児育児の大変さをよく知っている方だったのだろうと、今となっては思います。 ***** 「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。 障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。 この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第6回です。 ***** ――娘さんは半年間の待機ののち、3歳になった春から療育施設に通い始めたのですよね。娘さんの情緒の安定を考慮して、最初の3ヵ月は午前中のみの通所、その後は14時まで過ごすようになった、と前回お伺いしました。 はい。3歳でもまだ母子分離ができていなかったため、まずは知的障がい児のための療育施設に毎日通い始めたんです。そこで出会った先生たちのおかげで、半年もすると、娘は次第に落ち着き、教室で私のお迎えを待つことができるようになりました。 14時に退園後は毎日、好きな乗り物や海を見るために、羽田空港や台場に連れて行きました。
―― 毎日ですか? お住まいの地域から、羽田空港や台場は決して近くはないと思いますが……。 当時の娘は長時間、家にとどまって過ごすのが困難で……。また、公園に連れて行っても遊具や砂場で遊ぶことができず、まばたきを3回すると見失ってしまうほどの多動だったので、水平でだだっ広い場所が迷子になる確率が低くなり、安心だったんです。 娘のように公園の遊具をうまく使えないお友達はほかにもいて、よその子に迷惑をかけないよう、早朝の5時台に連れて行って遊ばせているというママたちもいました。 ―― そのころ、2つ違いの妹さんはどのように過ごしていたのですか? 同じ年の春、次女は近隣の認証保育所の1歳児クラスに受け入れてもらえました。姉妹それぞれ、発達の状況に応じて過ごせる育ちの場が見つかり、ほっとしました。 とはいえ、長女の睡眠障害で細切れ睡眠が続いていた私は、送迎の運転は眠くて仕方なく、目を見開いたまま意識が遠のくたびに、首をフルフル振ってハンドルを握りました。 ―― 当時はまだ、妹さんの育児休暇でお仕事をお休みされていたんですよね。 はい。上の子の育休期間中に下の子を授かったので、上の子の産休、育休から継続してお休みしてました。子どもたちを育てていくためには、なんとしても仕事を続けなければと思っていましたが、どうすれば仕事に復帰できるのか見通しが立たず、とても苦しい状態でした。そんななか…… 「お母さん、できることなら働き続けた方がいい。障がい児も受け入れている保育園を探してみて」 復職のため、上の子の保育園をどう探したらいいか相談に行った区役所の窓口の女性に、開口一番、背中を押されました。障がい児育児の大変さをよく知っている方だったのだろうと、今となっては思います。 保育園を申し込む際には、区役所の窓口の方や職場が親身に相談にのってくださり、娘でも楽しく過ごせそうなところを数ヵ所見学し、第10希望ぐらいまで書きました。
工藤 さほ