役所広司&内野聖陽が憧れる、『八犬伝』で演じた滝沢馬琴&葛飾北斎の生き様と自由な表現への想い
日本のファンタジー小説の原点として知られる滝沢馬琴による「南総里見八犬伝」をベースにした山田風太郎の小説「八犬伝」を、『鋼の錬金術師』シリーズの曽利文彦監督が実写映画化したエンタテインメント超大作『八犬伝』(10月25日公開)。若き8人の剣士たちの戦いをダイナミックなVFXで描く“虚”のパートと、作者である滝沢馬琴と葛飾北斎の友情や創作の真髄、そこで生まれた奇跡の実話を描く “実”のパートが交錯する、新感覚のエンタテインメントに仕上がっている。 【写真を見る】役所広司と内野聖陽がピースで仲の良さをアピールしたおちゃめなショット! 舞台は江戸時代後期。人気作家の滝沢馬琴は友人の浮世絵師・葛飾北斎に構想中の物語を語り始める。それは里見家にかけられた呪いを解くため、運命に引き寄せられた8人の剣士たちの戦いを描く「南総里見八犬伝」だった。北斎を瞬く間に魅了したその物語は、刊行されるとたちまち大人気に。連載開始から25年が経ち、物語もクライマックスに差し掛かった時、馬琴は両目を失明してしまう。 滝沢馬琴役は役所広司。馬琴の友人で人気絵師の葛飾北斎には内野聖陽が扮し、28年書き続けた原作者、馬琴が抱える苦悩と「南総里見八犬伝」完結への執念の物語を描きだす。MOVIE WALKER PRESSでは、役所広司&内野聖陽にインタビュー。馬琴、北斎への想いや、曽利監督も思わず唸ったキャラクター作りの裏側、さらに劇中でも議題となる「娯楽(エンタテインメント)の在り方」についても語ってもらった。 ■「馬琴は北斎と家族がいなければ28年も書き続けることはできなかったと思います」(役所) ――曽利監督から、お2人が演じる馬琴、北斎は撮影初日からずっと撮影していたような完成度だったと伺いました。最初にお芝居をした時の様子を振り返っていただけますか? 役所「最初、軽く本読みをしたんだよね?」 内野「そうでしたっけ?」 役所「初日の前日に1回だけ、歌舞伎のシーンだったから四国だと思う」 内野「全然、覚えてない(笑)」 役所「少しだけ、本読みをした時に、お互いの方向が見つかった感じじゃないでしょうかね。役として意識したのは、お互いの扮装を見た時かな。『あぁ、このじじぃとずっとやるんだな』って(笑)」 内野「役所さんからずっと『じじぃ、じじぃ』って言われて(笑)。でも、ご自分も(メイクで)かなりじじぃになって」 役所「そうそう(笑)」 内野「僕からしたら、役所さんはずっと映画などで観ていた人だから、遠くはない存在。実際に一度だけ少し共演させてもらったこともあって、まったくの初めてではなかったのと、馬琴のところに北斎が転がり込むといった関係性もあったし、2人はなんでも言い合える関係だから、役所さんに会った途端に『馬琴だ!』っていうスイッチが入った感じでした」 ――「じじぃ」「馬琴だ!」という第一印象から、長きに渡る2人の関係を演じるなかで、考えたこと、感じたことはありますか? 役所「北斎という男がいなければ馬琴は『南総里見八犬伝』を書き終えることはできなかっただろうし、絵描きとしても尊敬している彼から『おもしろい!』とひと言言われるだけで、作家としてすごい勇気をもらったと思います。物語の下絵を北斎に描いてもらう度に相当な刺激を得ていたんじゃないかな。馬琴は北斎と家族がいなければ28年も書き続けることはできなかったと思います。馬琴が一番信頼する北斎という人を内野くんが演じて、2人がいる空間と時間を埋めてくれる感じがあって、共演者として助かりました」 内野「北斎は、馬琴の才能にいち早く気づいている、いわば第一発見者。とにかくこの才能だけは潰してはいけない!という使命感を持っていた感じがしたので、もう馬琴ファンの第一人者くらいの自覚を持って北斎をやっていました。北斎は外の風通しのいい場所で江戸の庶民の姿を活写しているわけじゃないですか。でも、馬琴はいろいろな古典をはじめ、凄まじく勉強をした脳みそから、ものすごいスペクタクルを生みだしている。めちゃくちゃ尊敬していたと思うし、お互いが影響し合う才能というのがすごくおもしろくて。曽利監督にも、北斎は馬琴の部屋に風をもたらして欲しいと言われて。風のように来て、風のように去っていく、型にハマらない北斎の豪放磊落な性格が出ればいいなという想いで演じていました。馬琴は奥さんや息子さんのことで非常に苦しみながら生きている。北斎自身は最初からそれを捨てて生きているという落差も結構大事。その感じをうまく出したいと一番気にしながら演じていた記憶があります」 ■「これからも自分を育ててくれる作品に出たいし、そこで自分自身が吸収していかなければいけない」(役所) ――28年という長い年月をかけて作品を作り上げることについて。お2人には長い時間をかけてでも、やりたいこと、作り上げたい作品などはありますか? 役所「もうそれは自分自身ですね。俳優としても人間としても自分自身をどこまで作り上げていけるか。幸い、俳優の仕事でいろいろなことをやって育ってきた。これからも自分を育ててくれる作品に出たいし、そこで自分自身が吸収していかなければいけない。セリフが覚えられなくなるまではそれが続くのかなとは思っています(笑)」 内野「今回北斎を演じて一番すごいと思ったのは、死ぬ寸前まで絵に対する愛や向上心を失わなかった生き様です。晩年になって『やっとおもしろさがわかってきた』とか言ったりする人(笑)。芸術というのは、なかなか飽き足らない世界だから、自分のなかでも北斎のように、ずっと役者として高みを目指すような気持ちを持ち続けられたらいいなって。憧れというのかな。まあ、馬琴と北斎は極端な例ですけれど、北斎という生き様に出会わせてもらったこの機会がすごくありがたいです」 役所「そうだよね」 内野「ですよね。だから、今回は本当に北斎に学ばせていただいたという気持ちがあります」 ■「やっぱり役者ってどこか醜悪的なものとか、人が見たくないものを見せるのが使命という部分もある」(内野) ――劇中で歌舞伎の鑑賞後に、馬琴と鶴屋南北(立川談春)が「娯楽(エンタテインメント)の在り方」について議論するシーンも印象的です。 長年俳優として活躍されていらっしゃるお2方が考えられる「エンタテインメントの在り方」についてもご意見を伺いたいです。 役所「あのシーンの会話は永遠のテーマで、エンタテインメントの世界に携わるみんなが南北的なものを目指したり、馬琴的なものを目指したりしている。事実、僕たちも行ったり来たりしていて、それを楽しんでいる感じはしますよね。馬琴としてはあの時、北斎が自分の味方をしてくれないことにちょっと腹を立てたりしていますが(笑)」 内野「アハハハ」 役所「でも、あの会話があって馬琴もちょっと書けない時期を過ごしたんだと思いますね」 内野「揺らいだんでしょうね、かなり」 役所「揺らぎますよ、やっぱり」 ――お2人も、常に馬琴と南北の会話のようなことは考えて続けていらっしゃる? 役所「そうですね。あの場面でも、馬琴も理解はもうしているとは思うんです。南北的な表現の仕方、馬琴的な表現の仕方というものがあって、要は表現の違いなんだなって。でもやっぱり、最終的に観る人には決して『悪がよし』という表現はしないわけだから、そういう意味では、馬琴としては、信じてきたものがつまずくような感覚があったんじゃないかな、と思うんです」 内野「僕は『エンタテインメントの在り方』みたいな難しいことはあまり考えずにやっていますが(笑)。僕も鶴屋南北原作の『東海道四谷怪談』の舞台で民谷伊右衛門(※外見は色男で、実際は悪人の役。色悪の代表とも呼ばれるキャラクター)をやったことがあるのですが、なんでしょう、やっぱり役者ってどこか醜悪的なものとか、人が見たくないものを見せるのが使命という部分もあって。みんなが目を塞ぐもの、絶対に口に出せないよね、というところをあえて表現していくのも役者としてすごく大事だと思っているので、南北の言う露悪的な世界も実は好き(笑)。お客さんにも『伊右衛門なんか死んじまえばいい』という気持ちがありつつ、観たいという気持ちもある。勧善懲悪な物語は気持ちがよくて好きだけど、だんだん飽きてくるというのも事実としてあるから、醜悪なものも見たいし見せていきたい。それがエンタテインメントの在り方になるかどうかはわからないけれど、役者の使命としてそういうものがある気はしています」 役所「まさにそうだよね。やっぱり俳優っていうのは欲張りだから(笑)。いろんなことをやりたいし、いろんな表現をする作品で自分もなにかを得たいという気持ちがある。悪が悪くなきゃ報われないということはないけれど、でも、やっぱり正しい心、美しい心が報われるところに導いていきたいという気持ちはあります。醜悪なものを表現して、それを観た人がこうはなりたくないと思えるものを表現する作品は、どんなに残酷なものでも最終的には他人の痛みを感じる心を育ててくれるもの。文学でも映画でもなんでもそうだと思います」 ■「自由な表現をしたくて役者の仕事をやっているみたいなところが極論あったりもする」(内野) ――ステキなお話、ありがとうございます。では最後はちょっとポップな質問で。様々な作品でいろいろな時代を生きる役を演じてきているお2人ですが、もし、馬琴、北斎のいる江戸時代に生きるなら、やってみたいこと、見てみたいことはありますか?この時代で役者として生きるお2人も見てみたいです! 役所「僕は、北斎のようにいろいろなところに行きたいかな。お百(馬琴の妻)からも文句を言われずに自由に生きたいです(笑)」 内野「憧れますよね、北斎の生き方」 役所「ましてや北斎はいま、世界中で知らない人はいないくらいの人物。有名な欧米の画家にも影響を与えた作家だから、彼にしか見えない景色を見てきたと思うとますます興味が湧きます。絵描きにも制約があるなかで、いろいろなアプローチをして作品を残してきたという事実がすばらしい。自由っていうのは、ものを作る人間にとってはやっぱり一番羨ましいことですから」 ――様々な制約があるなかで作品づくりをされているお2人の言葉なので重みがあります(笑)。 内野「僕は、なんだろうな。歌舞伎役者とかかな。あの時代のアイドルみたいな存在なんですよね、人気のある役者とかって」 ――ブロマイドとかもありますしね。 内野「そうそう!あと、北斎自身もそうだけど、絵師という仕事にも確かに興味はありますね。浮世絵とか春画とか」 ――春画に魅せられた役もやっていらっしゃいましたね。 内野「ですね(笑)。あの時も思ったけれど、ギリギリの縛りのなかで、自由に表現していることに憧れはあります。あとやっぱり、江戸時代もしかり、時の権力者に縛られているから、八房とか動物になるのもいいのかな(笑)」 役所「お姫様に愛でられて?(笑)」 内野「しかも、生類憐れみの令もあるからさらに愛でられるかな(笑)。でも、やっぱり北斎の姿を見ていると役所さんと同じく、縛られないことに一番憧れます。自分自身もそうだけど、役者として表現するうえで、どれだけ自由になれるのかって結構大きくないですか?」 役所「一番、大きいですね」 内野「ですよね。自由な表現をしたくてこの仕事をやっているみたいなところが極論あったりもする。制約が多いほどそういう気持ちは強くなるのだろうけれど、どの時代で生きても自由でありたいと思うんでしょうね」 役所「どっちにしろ、どの時代も不自由のなかの自由を見つけてやるしかないからね」 内野「そうですよね。っていうか、全然ポップな質問じゃなかったような…(笑)」 取材・文/タナカシノブ