<春の涙、いま・私のセンバツ>/3 2015年出場 豊橋工・鈴木教真さん 落球悔い、仲間支えに
「もう野球をやめようと思った」。2015年の第87回センバツ。3月26日の第1試合に出場した豊橋工(愛知)の二塁手だった鈴木教真(きょうま)さん(25)はあの日を振り返って、つぶやいた。甲子園は風が強かった。 初戦の相手はこの大会で準優勝する東海大四(北海道)。0―0で迎えた七回表の守り、2死満塁で打席に4番が入った。鈴木さんは深めにポジショニング。その後方、右翼線寄りに飛球が高く上がり、ピンチを脱したと思われた。 下がりながら一瞬ボールから目を離し、右翼手と声を掛け合ったが、大歓声に紛れて届かない。自分が捕ろうと決めて上を見ると、5、6球のボールが同時に落ちてくるかのようだった。初めての感覚。風に流されたボールはグラブに当たって落ちた。3者が生還。その後の記憶はない。気付けば0―3で試合は終わっていた。 仲間と厳しい練習に励み、21世紀枠でつかんだ春夏通じて初の甲子園だった。地元の人は約50台のバスで応援に駆けつけ、アルプス席をオレンジ色に染め上げてくれた。宿舎に帰ると明かりもつけずにベッドと壁の隙間(すきま)に潜り込み、動けなかった。 SNS(ネット交流サービス)には自分を「犯罪者」と呼ぶ投稿があった。右翼手の後輩や四つ下の弟も何か言われているのではと気が気でなかった。「俺は野球やっとらん方がいいな」。地元に帰ってから数日間、部屋にこもった。保育園から一緒の野球部の仲間2人に誘われ、迷いながら練習に戻った。5月の練習試合で同じようなフライが上がった時、迷わず食らいついてダイビングキャッチ。プレー面の迷いは消えたが、気持ちは沈んだままだった。 高校卒業後は造園会社に就職し、現在は愛知県豊橋市で溶接工として働く。たまに草野球で汗を流したり自宅で素振りをしたり。ただ、8年前の落球の後ろめたさは消えない。「周りの人は気にしていないと分かっていても、本当はどうなのかと考えてしまう」。今も、自分から進んで甲子園出場のことを話せずにいる。「あのセンバツ以来、ずっとカラ元気なのかも」 それでも聖地は特別だった。出場を聞いた祖父は泣いて喜び、遠い親戚たちが応援に来てくれた。試合後、野球部OBの先輩は励ましの長文のメッセージを送ってくれた。人は一人では生きていけないと教えてくれたのが甲子園かもしれない。【戸田紗友莉】=つづく