武藤昭平、約14年ぶりのソロ『名前を失くした男』に込めた仏教思想について大いに語る!
どっかで答えを探してるんでしょうね。なんで生きてるのかって
ーーまずは禅から入っていったんですね。ただ禅は、武藤さんが信仰する浄土宗にはないものですよね。 「うん。坐禅を組む禅宗は、日本だと臨済宗、曹洞宗。浄土宗はひたすら念仏を唱える教えなんで」 ーーそこで臨済宗、曹洞宗のことを追求する方向には行かなかったんですね。 「武藤家の宗派がずっと浄土宗なのでね。親父が亡くなって、実家のある福岡の浄土宗のお寺に納骨したんですけど、最初『ここの檀家だから、俺が死んだ時はそこに相談したらいいよ』って親父が言ってたお寺におふくろが相談しに行ったら『いや、檀家さんじゃないですよ』って言われて(笑)。どうやら、親父のお兄さんは檀家なんだけど、武藤家丸ごと檀家ではなかったというか」 ーー本家、分家の違いみたいな。 「だから、例えば法要の時に僧侶の方が来てちゃんとお経を唱えてもらうとかも、お兄さんが檀家さんだったから、何かあったら手伝いますってことで、やってもらえてたんですけど、親父はそのへんを全然わかってなくて。ただ武藤家があそこのお寺だから、ぐらいの認識だったというか。それでおふくろと兄貴が慌てて、いろいろ探して、別のお寺を見つけて。お葬式に合わせて、そこの檀家さんに急になったんですよね。だから今のうちから、そういうことをちゃんと知っておかないとまずいなって思ったのも、少しきっかけになったところはあるのかな」 ーーもちろん仏教文化や思想に興味はあったけれども、本格的に浄土宗に関して勉強しようと意識しはじめたのは、お父様のご葬儀の際の経験もあったわけですね。 「そうですね。そのあと病気をきっかけに禅宗や仏教全般を勉強するようになっていった感じですかね」 ーー武藤さん的に一番しっくりきた仏教の教えというのは何だったりするのでしょうか? 「無になることですね。全部手放して、無になるために座禅を組み、念仏をずーっと言い続ける。マントラをメロディに乗せて延々に唄う。それで無になって心が自然と静まった時に初めて正しい判断ができるっていう。そういうところが仏教にはあって。それまでの自分は、ビートニク好きとして、何かを足したほうがいいと思ってたんですよね、ずっと。法に引っかからない程度の何かを入れて、快楽なりリラックスなりを足すっていう」 ーーだからタバコもガンガン吸い、ボロ雑巾のようと称されるぐらいまで(笑)お酒を呑み。 「そうそう(笑)。煙草を吸ったら落ち着くんだって思ってたし、酒を呑んだら嫌なものを流せるんだって思ってた。でもそうじゃなくて、全部を手放したほうが早いっていう」 ーータイトル曲は、字面だけ見るとネガティヴな歌のようにも感じますが、今の話を聞くと、無になる、無我の境地という意味なんですね。 「そう。逆にすごくポジティヴな歌ですね。自然と湧き出る感情はいいんだけど、自我やエゴから生まれた感情を中心にしてしまうと、人を傷つけてしまったり、残念なことになっていくから。だから名前を失くしたほうが自由になるよっていう。そこまでは、今わかってきたところで。それを、ひとつ歌にすることができました」 ーー8曲目の「アナザー・ワールド」は、資料の曲解説によると、武藤さんのSNSによく登場していたカルガモのガァーちゃんが亡くなったことを受けて書かれた曲で。ガァーちゃんが亡くなったのが去年の5月とのことですが、ちょうどその頃、ガンが寛解に至ったんですよね。ガァーちゃんとは、自宅療養中に始めた散歩中に出会ったというのもあり、勝手に何かしらの繋がりみたいなものを感じずにはいられないなと思ったりして。 「うーん……ですね。寛解になったよって主治医から言っていただいたあと、いつものように散歩でガァーちゃんのいる池に行ったら亡くなっていて。やっぱり理由を探したくはなりますよ、時々。でもそこに理由はなくて。今、自分はたまたま生かされているだけ、すべて生きてる人は生きてるし、死んでしまう時は死んでしまう。それが普遍であるというか。そんなもんなんだろうなって言うしか言いようがないというか……だったら、ねぇ……なんでチバくんは死ななきゃいけないんだってなる。しかも同じ病気でもあったし……俺が入院してた時、勝手にしやがれのステージで唄ってくれたんですよ」 ーーそうですね。武藤さん不在の中で行われた〈7 O'CLOCK JUMP〉(勝手にしやがれの主催イベント。2018年4月23日@渋谷クアトロにて開催。対バンはThe Birthday)で「ロミオ」や「Slave」をチバさんが唄ってました。 「そう。だから今度は自分がお返ししなきゃなって思ってたから……こうなるのはね、やっぱり辛いし、『なんで?』って聞きたいけど、いや、理由はないんだよなって。だから、ジタバタしてもしょうがないし、俺は今、生きてるわけで、みなさんも生きてる。いろんなこともあるだろうし、辛いこともあるかもしれないけど、なるべく人を笑顔にさせるために、無になることで正しい判断ができればいいな、って。そうやって生きるしかないな、頑張るしかないな、っていうかね」 ーーただ、訃報の翌日の武藤ウエノのライヴで「凡人讃歌」を唄った時に、「俺じゃなかったんだな」ってポロッと言ってたじゃないですか。 「まぁ、気持ちの整理がつかない時のライヴだったから(苦笑)」 ーー仏教を会得されている方でも、そういう言葉が思わず口から出てしまうんだなっていうのも正直思ったところではあって。 「まあ、浄土宗の人間は一番弱いので(笑)。浄土宗のお坊さんもそう言ってます」 ーーえ、宗派によって違うんですか?(笑)。逆に強い宗派ってあるんですか? 「禅宗ですね。一番修行が厳しいというか、まず完全にその人自身をずっと否定され続けるんですよ。自我があるから悲しくなる。だから、自分がないんだっていうことに早く気づきなさい、っていうことなんです。だからあまり感情を表に出さないというか」 ーー無我の境地を得るために、禅宗はかなりハードコアなスタイルなんですね。 「対して浄土宗というのは、南無阿弥陀仏って言ったら救われるという教えなんですよ」 ーー念仏を唱えれば、唱えるだけ徳を積むことになる、みたいな? 「いや、阿弥陀様に帰依すれば極楽浄土というところで生まれ変わらせてもらえる。そのために南無阿弥陀仏と唱えることで自分を無にする、みたいな。〈嫌だな〉とか〈このやろう〉ということでも、〈そうか、これは阿弥陀様のはからいか〉って考えれば済むというかね。だから例えば身体が弱い人やお年寄りとか座禅が組めない人でも、念仏を唱えるだけでいいんですよ、っていう」 ーーすごく庶民的というか。 「そうなんです。難しいことはさておき、南無阿弥陀仏を唱えればいいんですよっていう。あとは、その人のありのままでいいというか。だから悲しい時に、悲しいと泣くことは、ありのままであるから。それでいいんです」 ーーそういう意味で、感情の揺れには弱い宗派であると(笑)。今回話をしていて思いましたけど、武藤さんって探究心がすごく強いですよね。自身が惹かれるもの、興味があるものをとことん調べつくすというか。 「たぶん、どっかで答えを探してるんでしょうね。なんで生きてるのかって。どうせ見つかりっこないんだけど(笑)」 ーー自分はなんで生かされたのか、というか。 「もともとビートニクが好きで、仏教にも興味はあったけど、ビートニクの作家に説教したっていう仏教学者の存在を知り、別物だと思っていたものが自分の中で繋がったことで、これは絶対に縁だなっていうふうに本当に思ったんですよ。そこからまた広がるものがあって。だから結局、導かれてるんだなという気がするんですよね」 ーーそして、今回のような作品を世に出して。 「きっと若い頃の俺だったら『この人、ちょっと変な方向に行っちゃったのか?』って今の俺に対して思うんだろうけどね(笑)。そういう意味では、今回危険なアルバムを作ったというか、誤解を生む作品を作ったかなとは思うかな」 ーーその自覚はあると(笑)。 「でもやっぱ、俺ひとりの作品じゃないとできないことでもあるし、むしろ振り切ってていいんじゃない?って。そう思えてるからね、満足してますよ(笑)」
平林道子(音楽と人)