“知の巨人”立花隆さん 死去から3年、放置で傷んだ“猫ビル”が買い叩かれた!「貴重な取材資料」の行方は
「買ったのはいいのですが、猫の壁画が汚くなっていて、近隣住民から苦情が来ているんですよ。どうしたものか……」 【画像】現在、売りに出されている“猫ビル”。売値はなんと約1億6000万円 と語るのは不動産関係者だ。 ジャーナリストで作家の立花隆さんが亡くなってから3年。“知の巨人”の遺産は次々と散逸しようとしているーー。 「立花さんが最初に名を馳せたのは、1974年に『文藝春秋』に発表した『田中角栄研究~その金脈と人脈』ですね。角栄の金脈問題に切り込み、退陣に追い込みました。調査報道の先駆けとも言われています。さらにその後、1983年の『日本共産党の研究』や、『宇宙からの帰還』、1986年の『脳死』など、次々と話題のノンフィクションを発表しました。2021年4月に急性冠症候群のために死去しました。享年80です」(出版関係者) あらゆるジャンルに精通し、必要があれば1日に10冊もの本を読破する……。そんな立花さんを象徴する“知の要塞”が、文京区・小石川にある猫ビルだった。 「猫ビルは、1993年に完成しました。地下1階、地上3階建ての三角形の鉄筋ビルで、頂点部分には画家の島倉二千六氏が直筆した黒猫が描かれていることから“猫ビル”の愛称で親しまれてきました。3階を仕事場として執筆活動にいそしみ、来客は2階の事務所にまず通され、立花氏との面談時間になると螺旋階段を上って3階に向かうのが恒例でした。地下1階にはワインセラーもありましたが、すべての階に書棚があり、蔵書は10万冊以上もあったという話でした」(同前) ところが冒頭のとおり、すでに猫ビルは遺族から不動産会社の手にわたっていたのだ。同ビルの売買に携わった不動産関係者はこう語る。 「息子さんが相続したのですが、今年の1月にある買い取り専門の不動産会社・A社が買いました。買値は6500万円程度だったはずですよ。この立地で考えれば破格の安さですよ。“買い叩き”だと言われても仕方がないほど。まあ、現金が必要だったのかもしれません」 そして3カ月後には、同社から別の不動産会社・B社が購入し、現在同ビルは売り出し中だ。 「B社に引き渡された時には、書棚や一部の備品が残っていたようで、それらは購入者が使用する可能性もあるので、残してあるそうです。売値はなんと1億5800万円。相場よりもかなり高い値付けです。立花氏の事務所跡というプレミアムが付いた価格設定だそうですよ。 ただ、B社に対しては近隣住民から、猫の絵がすすけて怖いという苦情も入っているそう。貴重な絵なので消すこともできないし、非常に悩んでいるとか。そもそもかなり“猫の額”のような細長い土地に無理に建てたビルなので、決して使いやすいものではありません。買い手がつくのか、やきもきしているところでしょうね」(不動産関係者) もちろん、立花氏が所有していた10万部もの蔵書と取材資料は、すでに猫ビルから消えている。すでに蔵書のうちの半数近くは、古書店に売却されたことが報じられているが、残りはどこにいったのだろうか。 「じつは、茨城県のとあるグループ企業Xが所有する博物館に保管されているんですよ。同社のオーナーは、生前から立花さんと交流があり、すでに約束を交わしていたとのことです。立花さん本人は『自分の名前を冠した資料館は絶対に作らないでくれ』と言っていましたから、同社の博物館で展示することになるのではないでしょうか」(前出・出版関係者) そこで本誌がX社に電話で問い合わせると、担当者は 「資料はダンボールに入っています。ただ、これについて広報する予定はありません」 と回答。さらに書面での取材申請を求められたため、FAXを通じて確認したところ、一転して取材資料の「寄託・保管はしてはいない」と回答し、資料の公開に関して関係者との協議も「していない」と否定したのだ。 では、“猫ビル”を売却した遺族なら行方を知っているのだろうか。群馬県に暮らす子息をあたったものの、期日までに返答はなかった。 「立花さんの取材資料を巡っては一悶着ありました。取材のメモなどを公開した場合、取材源の秘匿に反することになる、といった理由で相続代理人弁護士が反対していたのです。段ボール100個分の資料が果たしてどこに消えたのか……。猫ビルの“猫”も消え、資料も無くなったとなると、あまりに寂しい結末ですね」(前出・出版関係者) 立花さんは生前、「遺体はゴミとして捨ててほしい」と遺言を残したことでも知られている。こうして“消えて無くなる”ことは本望なのかもしれないが……。