「島田事件」死刑判決、再審無罪の赤堀政夫さん死去
「袴田事件」などの支援も
70年代の終わり頃から赤堀さんを支援していた山崎俊樹さん(70歳/袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会事務局長)は、赤堀さんが仙台の拘置所に収監されていた当時の思い出として「面会は比較的自由にできましたが、赤堀さんにまったく歯がなかったことに驚きました」と証言する。本人も釈放後に当時の状況について、「刑務官が独房に入ってきて『今から死刑を執行する』と言われた。恐怖で髪が真っ白になったが、彼はすぐ『あっ、間違えた』と言って出て行った」と語ったという。山崎さんは「そんなことがあるのかと思いましたが、赤堀さんは軽度の知的障害もあり、嘘が言える人ではない」と振り返る。 山崎さんは主任弁護人だった故・鈴木信雄弁護士より聞いた話として、面会した拘置所で赤堀さんに「こんなところに来ている場合じゃないでしょ。犯人が遠くに逃げてしまう」と追い返されたとの逸話も紹介した。鈴木弁護士はこれで無実を確信したという。 再審無罪で釈放後の赤堀さんは体調を崩し入院したが、回復後は同じ静岡県の「袴田事件」の袴田巖さん(88歳)、三重県「名張毒ぶどう酒事件」の故・奥西勝さん(2015年に89歳で死去)の裁判支援を行なっていた。巖さんの姉の袴田ひで子さん(91歳)は「赤堀さんのお兄さんと一緒に救援行動もしました。赤堀さんは釈放から間もない頃ウチに寄ってくださり5月の浜松まつりを一緒に楽しんだこともあります。釈放された巖にも会いに来ていただきました」と感謝する。筆者が3年ほど前、巖さんの支援集会で見た赤堀さんは90歳を過ぎてなお、意志の強そうな眼光が印象的だった。
粟野仁雄・ジャーナリスト