夫・一条天皇の死後にモテ男を選んで親から勘当… 牛車置き場で暮らすことになっても愛に生きた元女御の生涯とは?
NHK大河ドラマ『光る君へ』第40回「君を置きて」では、一条天皇(演:塩野瑛久)が崩御。三条天皇(演:木村達成)が即位する。さて、一条天皇には皇后定子(演:高畑充希)や中宮彰子(演:見上愛)のほかに3人の女御がいたが、今回はそのうちの1人、藤原元子(演:安田聖愛)の生涯をお届けする。 ■入内するも出産できず…宮中の笑いものになってしまった屈辱 一条天皇に最初の后・藤原定子が入内したのは、一条天皇が数えで11歳の春のことだった。それからしばらくは中関白家が権力を握ったこともあり、父・道隆の威光もあって他の姫君の入内はなかなか叶わなかった。 事態が変わったのは、一条天皇の寵愛を一身に受けていた定子の兄・伊周と隆家が長徳2年(996)正月に起こした「長徳の変」からだった。この事件で2人は罰を受けることになり、定子は髪を切り落としたことで落飾したとみなされた。となれば、これまで我慢していた貴族たちが我先にと娘を入内させようとするのは必然だった。 長徳2年(996)7月20日に大政大臣・藤原公季の娘である藤原義子が入内。続いて同年11月14日に入内したのが、本稿の主人公である藤原元子である。彼女は父が右大臣・藤原顕光、母が村上天皇の皇女・盛子内親王という高貴な姫君だった。 道長が実権を握っているとはいえ父は右大臣、しかも母方は天皇家の血筋という完璧な後ろ盾があった元子。もし彼女が早々に一条天皇の皇子を出産していたら歴史はまた少し変わっていたかもしれない。 しかし現実は残酷だった。元子は妊娠の兆候が出て実家である堀河院に退出したものの、長徳4年(998)6月に出産に臨んだ際に体内から水が出てきただけだった。『栄花物語』によると、この一件で元子と父・顕光は嘲笑されたという。 失意のどん底にあった元子は翌年9月になってやっと一条天皇のもとに戻ったが、長保2年(1000年)には堀河院に戻っており、以降彼女は実家で暮らしている。長保元年(999)に道長の娘・彰子が入内していた上に一条天皇最愛の后だった定子が第一皇子・敦康親王を出産していたため、もはや彼女に宮中でみじめな思いをしながら生きていく気はなかったのかもしれない。 しかし、ここで終わる元子ではなかった。寛弘8年(1011)6月に一条天皇が崩御した後、彼女は為平親王の息子でいとこ同士の関係でもある源頼定と恋仲になった。ところがこれを知った父・顕光は激怒。彼女を無理やり出家させる。それでも懲りずに2人の関係が続くのをみて、とうとう顕光は「どこへなりとも行ってしまえ」と元子を勘当した。 お相手の源頼定は見目麗しい貴公子だったようで、女性関係でもスキャンダルを起こしていた。『大鏡』によると、三条天皇が東宮だった頃、尚侍を務めていた藤原綏子と情を通わせて懐妊させたというのだ。これには東宮や、綏子の異母兄にあたる道長も怒り心頭だったという。そもそも頼定には正室もいた。道長は『御堂関白記』に、元子のことを頼定の妾と書いている。父や道長の怒りの背景には、かつて一条天皇の女御だった元子が「妾」になるのが我慢ならなかったというのもあるだろう。 『栄花物語』などにはその後元子は夜中にこっそり抜け出して頼定のもとに走ったと書かれており、一説には車宿(牛車を停めておく場所)での生活を余儀なくされたともいわれる。それでも2人の愛は絶えることなく、女子が2人誕生した。 そして驚くべきことに寛仁4年(1020)頃には頼定とともに実家の堀河院で暮らし始めたのである。略奪した夫と勘当されたはずの実家で生活するとはこれいかに……と思うところであるが、詳細は不明だ。頼定は同年6月にこの世を去り、元子は出家した。ではただ静かに夫の菩提を弔うのかといえばそうでもなく、この後彼女は堀河院の相続権を巡って父と争うのである。最終的には上東門院彰子を味方につけた元子が勝利し、父も引き下がるしかなかった。その後彼女がどのような晩年を過ごしたのかは謎に包まれている。
歴史人編集部