中村橋之助、20代で大役“太十の光秀”に挑戦 父・芝翫から「お父さんは羨ましい」
市川染五郎は大叔父・中村吉右衛門の演技に「リアルに鳥肌が立った」
歌舞伎俳優の中村橋之助、中村莟玉(かんぎょく)、中村鷹之資、中村玉太郎、市川染五郎、尾上左近、中村鶴松が11日、都内で行われた『新春浅草歌舞伎』の記者会見に出席。橋之助と染五郎が役柄への意気込みを語った。 【写真】「圧倒的なオーラ」「歌舞伎界1のイケメン!」の声…松本幸四郎&市川染五郎の親子ショット 新春浅草歌舞伎は浅草のお正月の風物詩として、40年以上の歴史を誇る公演。江戸時代の浅草では、現在の浅草公会堂がある場所からほど近い猿若町に『江戸三座』が開場し、明治から昭和にかけて浅草のショービジネスの中心地としてにぎわっていた。1980年のお正月に浅草公会堂で『初春花形歌舞伎』として歌舞伎興行が復活。2003年には新春浅草歌舞伎と名称を変え、“若手歌舞伎俳優の登竜門”として続いてきた。 今回の新春浅草歌舞伎では、「本能寺の変」の明智光秀側の物語を描き、通称“太十”や“十段目”と呼ばれる『絵本太功記 尼ヶ崎閑居の場』を、第1部と第2部で配役を変えて上演する。橋之助は第二部の、染五郎は第一部の『絵本太功記』でそれぞれ武智光秀を演じる。 橋之助は光秀を演じるにあたり、父・八代目中村芝翫と話したという。「光秀は父も何度も勤めているお役です。僕自身は、(光秀の息子の武智)十次郎よりも先に光秀をやることになるとは思っていませんでした。『太功記十段目』を見ている時は、『父が光秀役で(自分が)十次郎をできるようになりたい』と思っていました」と、自身の光秀役に驚きを感じているといい、「父から、『こういう役を若い時にやるのは難しいと思うかもしれないけど、若い時に体当たりでやることによって、見えてくる景色がいっぱいある。お父さんはそういう機会がなかった』と言われました」と語った。 父の芝翫が光秀を初めて演じたのは40代。「僕自身は20代でこれを経験させていただく。“20代の時にしか感じ取れないもの”や、『大きな役へ体当たりでぶつかるしかないんだ』という感情を知った上で40代50代になって、その時(20代)の感情を表現できる技量を持って挑むことができる。『こういう機会をいただけるのは、お父さんはうらやましいと思う』と言っていただいた」と明かした。 二代目松本白鸚を祖父に、十代目松本幸四郎を父に持つ染五郎は、「父は(2012年の)『俳優祭』で1日だけ光秀をやっておりまして、祖父も2回か3回しかおそらくやっていない役です」と語り、「曽祖父(初代松本白鸚)が光秀を演じた(1977年の)『俳優祭』の映像が印象にありまして、そこを目指したいと思っております」と意気込んだ。 「光秀は、播磨屋のおじさま(大叔父にあたる二代目中村吉右衛門)が何度もやられている印象です。歌舞伎座でなさった時に二階席の一番後ろで拝見していたのですが、笠で顔を隠していた光秀が笠をおろして顔を見せた瞬間に、リアルに鳥肌が立ったという思い出があります」と振り返った。「まさかその役を、こんなに早くやらせていただくとは! とうれしく思っています」と喜んだ。 「光秀は父、祖父、曽祖父、高祖父(七代目松本幸四郎)、播磨屋の高祖父(初代中村吉右衛門)もやっているお役です」と、代々演じるいる大事な役柄だといい、「まずは祖父に教わって、きっちり勤めることをと目指したい」と語った。
ENCOUNT編集部