<新たな伝統へ>県岐阜商の挑戦/下 鍛治舎巧監督(68) 母校優勝の使命、胸に /岐阜
鍛治舎巧監督(68)が、母校の県岐阜商監督に就任したのは2018年春。アマチュア野球界でその名を知られた名指導者は、選手の体力や技術の強化はもとより、心の持ちようを根本的に改め、センバツ切符を引き寄せた。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 鍛治舎監督は大野町出身。県岐阜商ではエースで4番としてチームをけん引し、1969年のセンバツで8強を経験した。卒業後は早稲田大を経て松下電器(現パナソニック)で選手と監督を務めた後、そのまま社業に携わり、人事や広報などを担当し専務にまで昇進した。 パナソニック時代は枚方ボーイズ(大阪府枚方市)で少年野球の指導に携わり、14年からは秀岳館(熊本)で監督を務め、同校を強豪校に育て上げた。 17年に秀岳館の監督退任を決めると、全国の強豪校からの誘いを断り、18年3月に母校の監督に就任。「最後は大義に尽くしたい。戦前は全国で最強の公立校だったのだから、戦後初の優勝を目指したい」と自らの使命を語る。 約20年に及ぶNHK高校野球解説者として、広く知られる存在だ。その経験から「高校野球でどのくらいの力のチームが勝つのかはよく分かっている」と母校強化に執念を燃やす。だが、就任当初、実際に選手たちの姿を見ると「力が無いわけではない。強豪校には負けても仕方ないと考えているから負ける」と精神面の課題を痛感した。 「夢は数値化する」「成功体験を与えて成長させる」。サラリーマン時代から貫く信念だ。強いチームと対戦すると萎縮してしまう選手たちを鼓舞するため、日々の練習からスイングスピード、球速などを計測。選手に自分の成長を数字の伸びで実感させた。 さらに、選手が自発的に大きな目標から小さな目標を導くための「目標シート」を導入した。昨秋東海大会後から始まった全国制覇までの道のりを示したチーム全体の「120日計画」と合わせ、期限を定めた目標設定で、選手のモチベーションを高めてきた。 森大河投手(2年)は「この人に指導してもらえば、甲子園でも優勝できる」と全幅の信頼を寄せる。練習を見守る監督も、選手の成長に目を細める。「県岐阜商は生まれ変わった。顔つきも違う。前向きに頂点を目指せるチームになった」。準備万全でセンバツ開幕を待つ。【横田伸治】