原辰徳が語る“巨人の四番”「選ばれし者、もう少し簡単に言うと、ファンが決めるもの」【巨人90周年インタビュー】
巨人の球団創設90周年のメモリアルイヤーを記念して、栄光に彩られた歴史、数多のスターたちを網羅した『ジャイアンツ90年史』が6月3日に発売される。そこで誌面に登場する豪華な4人&1組のロングインタビューを、一部抜粋した週べ特別編集版にて「ちょっと出し」でお届けしよう。3回目は原辰徳インタビューから。 【選手データ】原辰徳 プロフィール・通算成績
相思相愛の巨人へ
V9という黄金時代が終わり、長嶋茂雄監督が退任して王貞治も現役を退いた1980年のオフ。ジャイアンツにとって時代の節目に差し掛かる中で迎えたドラフト会議。1位指名で4球団が競合しながら、相思相愛だった東海大の三塁手の当たりクジは、導かれるように藤田元司新監督の手の中に収まった。 「1980年のドラフトのときは、長嶋さんが監督を退いたばかりで、ジャイアンツには暗いニュースの直後だった。そこにドラフト1位で僕の当たりクジを引いたというのは、久しぶりに明るいニュースがもたらされたという感じだったと思います(笑)。 実際に入ってみると、とても若いチームでした。リーダーとして堀内(堀内恒夫)さんがいらっしゃったんですけど、野手のほうはもう中畑(中畑清)さんがリーダー的な存在で。まだ若かったんですけど。篠塚(篠塚利夫)さん、河埜(河埜和正)さん、山倉(山倉和博)さんってね。そこに僕もすぐにレギュラーになって。すごく面白い、志の高いチームだと思いました。それほど給料の高い人はいなかったですけど(笑)。 宮崎キャンプの初日、僕は中畑さんのいるサードに入って『この人と勝負するんだな』と思っていたら、2日目からは藤田監督に『セカンドをやってくれ』と言われて。セカンドは篠塚さんで、今でも感謝しているんですけど、本当に献身的にセカンドの動きを教えてくれました。大学から来たルーキーに普通はそんなことできない。篠塚さんのすごさであり、自信もあったんでしょうね。 でもシーズンに入ってから中畑さんが試合中にケガをされて。『中畑に代わってセカンド・篠塚、セカンドの原がサード』とアナウンスされると、後楽園球場がすごい拍手に包まれたんですよ。中畑さんがケガから復帰されてからはファーストに回って、自然の流れでセカンド・篠塚さん、サード・原というポジションが固まった。誰も傷つくことなく、もちろん、誰もふてくされることもなく、前を向くことができたというのは、ジャイアンツらしかったなと思います」