アイドル12年目で初センターへ…SKE48熊崎晴香の原点「研究生の時、母の言葉にショックを受けて」
コンサートで1曲だけセンターで歌う機会があった
その後、コンサートで1曲だけセンターで歌う機会があった。 熊崎「これが気持ちよかったんです。前にはファンの方しかいないんです。ここにいたいって思うじゃないですか。そうだ、私って目立ちたがり屋だったなって、小中学校時代を思い出しました」 それは心の奥にしまっていた願望だった。小学校ではソフトボールのピッチャーに立候補した。背番号1をつけたかったからだ。学芸会では主役に立候補した。中学校の合唱コンクールでは全校の指揮者だった。すべては目立ちたかったからだ。 熊崎「学芸会の演技が褒められたのをきっかけにして、これはいいかもしれないと思い、お芝居に興味を持ち、ドラマ『中学生日記』に出たこともあります」 NHK名古屋放送局が制作をしていた『中学生日記』。1972年から2011年度に放送された長寿番組で、中学生のリアルな日常を描いたドラマとして定評を誇っていた。熊崎はそのドラマの最終年度に出演している。SKE48に入る前年のことだった。 その『中学生日記』への出演が終わっても、熊崎は芸能界入りを夢見ていた。中3に進級してしばらくすると、友人から誘われて、SKE48劇場へ行くことになった。そこではなぜかファンがSKE48に応募するためのオーディション用紙を配っていた。 熊崎「私たちが若いから、そのファンの方もノリで渡したんじゃないですかね。その日はただ受け取っただけでしたけど、後日、母が『この前もらったやつ、受けてみたら?』と提案してきて。私も芸能界に入りたかったから、受けてみることにして。そしたら合格したんです」 目立ちたがり屋、『中学生日記』、オーディション。すべてが直線で結びついて、熊崎はSKE48の制服衣装に袖を通すことになった。2012年の秋だった。
「W松井」の時代
当時のSKE48は、1期生・松井珠理奈と松井玲奈による「W松井」の時代だった。人気も知名度も圧倒的だった。 2015年の夏に玲奈が卒業してからは珠理奈による1強時代が始まった。そんな中、私もセンターに立ちたいとぶち上げたのが、5期生の古畑奈和と6期生の熊崎だった。 熊崎「ファンの方を前にして初めて宣言したのは、私の生誕祭の日でした。2016年だったかな。何の功績も挙げていない私がそんな大それたことを言うのに緊張しました。でも、『センターになりたいです!』と思い切って宣言できたのは、若さだったと思います。昔の自分に感謝しています。そこで宣言できたから、ずっと目標に向かって走ることができたんです」 正確に言えば、配信でセンター宣言をしたことは二度あった。しかし、ファンを目の前にして言葉にするのとは、緊張の度合いが違う。 ところが、その宣言から長い長い道のりが始まることを当時の熊崎はまだ知らなかった。 【後編】“諦めの悪いアイドル”SKE48熊崎晴香が苦節12年で出した初センターという答え「私には時間がない」は下の関連記事からご覧ください。
犬飼 華