「NHKの36年間、この本を手掛かりにトレーニングを続けた」山根基世氏が“話し言葉の本質”を学んだ1冊《アナウンサーのバイブル》
体系化されたアナウンサーの「話し言葉」
この本はアナウンス室を離れた後の杉澤さんが、NHKアナウンサーが蓄えた話し言葉の知識・体験を社会還元する目的で立ち上げた日本語センター(現・ことばコミュニケーションセンター)で、仲間のアナウンサーや言語学者、音声に関わる技術者らとともに行った研究をまとめた一冊。「まえがき」で杉澤さんは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に登場する伊藤一刀斎という剣客の「一境地をひらくごとに一理を樹てた。理があってこそ、万人が学ぶことができる」という言葉を引いています。この言葉通り、杉澤さんの研究によって私たちは「アナウンサー」としての話し方を、初めて体系的に学ぶことができるようになったと言ってもいいと思います。 NHKに日本語センターが作られる際、大きな影響を与えたのが、ドイツ文学者であり演出家の岩淵達治さんが新聞に寄稿した「イントネーション研究のすすめ」という原稿でした。そこで岩淵さんはNHKのアナウンサーについて、一語一語の発音やアクセントは確かに正しいが、一方でイントネーションが間違っているのではないか、という問題提起を行いました。 この記事は当時のアナウンス室で大きな衝撃をもって受け止められました。私が若い頃のNHKには「使ってやる」と言わんばかりの威張ったディレクターもいたけれど、アナウンス室の面々には「公共放送の担い手として自分たちが日本の話し言葉を担っている」という誇りがあった。ところが、思わぬところから「話し言葉」に対する批判があり、私たちは「アナウンサー」の話し言葉の本質を考えることを迫られたんですね。 そこで杉澤さんが日本語センターで行ったのが、日本語の音の仕組みがどうなっているのかを科学的に調べ、それを理論化する試みでした。『現代文の朗読術入門』はその研究の成果を収めた第一弾として出版され、私たちのバイブルになっていったわけです。 伊藤一刀斎の言うように、朗読も先輩から「こうやりゃいいんだよ」と教わるやり方では万人に伝わらない。私がこの本を読んですごいと思ったのは、様々な機器を活用して日本語のイントネーションを研究した杉澤さんが、人間の普段の話し言葉の奥に潜む日本語の音の法則を確かに発見し、それを言語化していたことでした。この研究によって私たちは「朗読」を論理的に学び、意味と言葉の塊を呼吸と合わせていくトレーニングを体系的にできるようになった。この本を本当に何度も読み込みました。NHKにいた36年間、私はこの本に書かれた内容を手掛かりに、読むためのトレーニングを続けた、という思いがあります。 山根基世氏の本記事全文は、「 文藝春秋 電子版 」に掲載されています。 全文では、山根さんが幼少期に「身体とつながるような読書体験」を感じた本や、現代詩との出会いとなった本、「この本の著者は私だ」と痛切に感じた本などについても詳細に語っています。 ■連載「 達人の虎の巻 ~人生を変えた『座右の書』~ 」 第1回「 谷内正太郎 『100点よりも51点の答案を』安倍外交の中心人物が読書で培った姿勢とは 」 第2回「 大村智 ノーベル賞受賞者は、なぜ北里柴三郎にほれ込んだか 」 第3回「 栗山英樹 僕は中国古典を読んで大谷翔平の『二刀流』を信じた 」 第4回「 山根基世 『普遍的なものを言い当てていた』元NHKアナウンサーが仕事の支えにした一冊 」
山根 基世/文藝春秋 電子版オリジナル