かつて憧れの学ラン…“バンカラ”応援団 令和流アップデートで伝統つなぐ
6日に熊本大会の開幕が迫る高校野球。暑さ対策のための甲子園の二部制導入や安全面に配慮した低反発バットの導入など、いま変革期を迎えています。高校球児を後押しする応援団にも大きな変化があります。 【動画】兼部OK!クールビズも 時代にあわせて変わる応援団
梅雨空に響く声。 声の主は、熊本市の済々黌應援團です。創部時期は定かではありませんが、現部長で68代目となる伝統の応援団です。 済々黌高校の応援団といえば、いわゆる「バンカラ」。昔は厳しい上下関係がありました。第35代副団長で現在OB会長の高野正太さんに当時の話を聞いてみると― 「上通、下通でも、先輩を見かけたら下駄を脱いで、帽子を取って『うーっす』って、先輩が通り過ぎるまで、ずっと見えなくなるまで立ちつくして」 10年以上顧問を担当している濵崎雅巳先生は「特徴的なのは、あの山の上から声を出して、聞こえたら練習が終わりのサインを出す、そういう話は聞いたことあります」と話します。 厳しい上下関係と猛練習で、脈々と応援団の伝統をつないできました。
コロナ禍の3年前 伝統の応援団に危機が…
現役の団員は、12人のうち10人が女子団員。練習中、真剣な表情の中にも、時折、笑顔がこぼれます。 2年生の女子団員は、「“バンカラ”と言われてるじゃないですか。しめられたりするのかな、上下関係も絶対に厳しいのかなと思ってて、いざ行ってみたら、『よく来てくれたね!』と、逆のギャップでした。厳しい、やばい、って感じじゃなくて、優しい!みたいな」 実は3年前、応援団に転機がありました。当時の団員は、3年生の団長のみで、後輩は一人もおらず、66代つないできた伝統が途絶えようとしていました。その危機を救った元団員が、今春卒業した中山愛那さん。6月のこの日も、後輩たちの指導のため校舎の屋上にやってきました。
中山さんは入学当初、空手部に入部。初めは先生の勧誘で、応援団を手伝っていました。その過程で中山さんは、応援することによって、応援を受け取った側にエネルギーを与えられることにやりがいを見つけます。その後、正式に入部。団員がいないまま、ただ一人の団長としてスタートしました。応援団をつないでいくため、変革を決意します。 「私自身、昔の応援団がすごい好きというか尊敬していて、そのスタイルももちろんすごい尊敬しるんですけど、特にコロナがあったときから、だんだんみんなが常識を覆すような考え方をしてきてるなって思ってて、それに合わせて応援団も変革していくと、また歴史がつながっていくんじゃないかなって」 OB会や先生と協力しながら、応援団を変えていきます。まずは代々受け継がれてきた、伝統の学ランの見直しに着手しました。