「守備が一番うまいのは平田だ」高校通算70本塁打の平田良介が落合博満監督から評価されたのは打撃ではなく守備だった
── 大阪桐蔭はプロに進む選手が何人もいます。早いうちから同級生同士で「どこの球団が希望?」などと、将来の話はするのですか? 平田 プロの話は一切しなかったです。どうやって試合に勝って、甲子園に行くかという話ばかりですね。最後の夏が終わってから、同級生の仲間内でどこの大学に行くとか、どこの社会人チームに入るとか、進路の話をするなかで初めてプロ野球が出てくる感じです。 ── 平田さんがドラフトされる2005年は、「高校生」と「大学・社会人」が分かれた初の"分離ドラフト"でした。 平田 同期の高校生ドラフト1巡目は、辻内(巨人)、陽岱鋼(日本ハム)、村中恭兵(ヤクルト)、山口俊(横浜)、炭谷銀仁朗(西武)、T-岡田(=貴弘/オリックス)などです。結構みんな活躍しましたが、いまだNPBで現役を続けているのはT-岡田と炭谷だけ。個人的には、炭谷とこの年3巡目でヤクルトに指名された川端慎吾とは仲がいいです。 ── 大阪桐蔭といえば、高校球界屈指の強豪校です。印象に残っている練習は? 平田 毎日の"山ラン"ですね。学校が生駒山のふもとにあって、グラウンドは山の上にあります。徒歩で片道35分の距離にあり、2、3年生はバスで移動するのですが、1年生はバスが到着する前に走って山を登りきり、先輩の荷物をおろすわけです。いま思い出してもキツかったですね。 【プロ初本塁打は代打サヨナラ】 ── プロ1年目は2試合の出場で、2打数ノーヒットでした。 平田 プロ初対戦は横浜の木塚敦志さんで、三塁ゴロでした。高校時代からチームメイトの辻内の150キロを超すストレートを見ていたのですが、同じ150キロでもプロの投じる球は速く感じて、質の高さに圧倒されました。中日で言えば、川上憲伸さん、岩瀬仁紀さんのストレートはすごかったです。
── プロ2年目の2007年の日本シリーズ第5戦、山井大介さん、岩瀬さんの"継投・完全試合"のゲームで、2回に犠牲フライを放っています。結果的にこれが決勝点となり、チームは53年ぶりの日本一を達成しました。 平田 あの試合は「7番・センター」でスタメン出場しました。相手投手はダルビッシュさん。とにかくバットに当たってくれという感じで振っていました。もしスライダーだったら打てていなかったと思います。ダルビッシュさんのボールがまったく見えていなくて、2打席目、3打席目は三振ですから。まぐれで当たりましたね。ただ、ハワイの優勝旅行は前日の練習中に捻挫をして、辞退というオチがつきました(笑)。行きたかったですね。 ── プロ3年目の2008年、プロ初アーチは横山道哉投手(横浜)から放った"代打サヨナラ本塁打"です。2011年には2試合連続サヨナラ本塁打(西武・野上亮磨/ロッテ・薮田安彦)をマークしています。 平田 打った球はスライダーでした。プロ初本塁打が「代打サヨナラ」というのは、史上7人目だそうです。2試合連続サヨナラ本塁打は史上8人目で、中日では初めてだったそうです。西武戦の時は井端(弘和)さんから「スライダーが来ると思うよとアドバイスを受け、狙っていました。ロッテ戦では「ホームランは嫌だろうからアウトコースに来るだろう」と、外のボールにヤマを張っていました。2011年は初の月間MVPを受賞し、プロ入り初の4番に座るなど113試合に出場。6年目にしてプロでやっていける自信めいたものをつかみました。 【落合監督に評価された守備力】 ── 平田さんの「打撃論」をひと言で表現すると? 平田 高校時代の印象から"ホームランバッター"のイメージを持たれやすいのですが、自分では"中距離ヒッター"だと思っています。どのコースでも引っ張りにいって、結果的に打球は逆方向にもいく広角打法をイメージしていました。 ── 2004年から監督を務める落合博満さんから打撃のアドバイスを受けたことはありましたか。 平田 落合監督からは「天井を見て振るな」とよく言われていました。僕は体の開きが早くなることがあったので、投手の足元に打ち返すイメージを持つことで、それを防げる。しっかりバットを振って三振ならいいのですが、当てにいく打撃をすると代えられていた記憶があります。