『笑点』卒業の林家木久扇86歳、波乱万丈の“おもしろ”人生~②笑点出演のきっかけは“銭湯” 立川談志さんとのマル秘裏話、乗り越えた大ピンチとは
落語家の林家木久扇さん(86)が3月末で55年にわたり出演した『笑点』を卒業。笑点史上歴代最年長&最長出演記録を更新し続けてきた木久扇さんに、日テレNEWSがレジェンドたちの体験談から“未来のきっかけ”を考える特別企画でロングインタビュー。 第2弾は、木久扇さんが『笑点』に出演するキッカケになった“銭湯”のエピソードや、恩人である立川談志さんとの知られざるウラ話、おバカキャラ誕生の秘話、そして人生の大ピンチだったという2度のがん闘病などについて、たっぷりと振り返っていただきました。 【動画】少年時代に知った「絵を描くとお金がもらえる」~木久扇のおもしろ人生
■ブレイクのきっかけ
昭和36年(1961年)頃、私は楽屋入りして、鈴本演芸場に出ていったときに、夏だったんですね。(立川)談志さんが飛び込んできて出番がありまして、「暑い暑い」って。(高座から)下りてきて「たまらないな。この暑い時に一席やるのは汗かいちゃった。風呂行ってくるよ」って談志さんが言ったから、私も前座で毎日働いていましたから、下町のお風呂屋さんって(午後)3時から始まるんですよね。寄席がはねるのが(午後)4時半ですから、毎日お風呂行っていたんですよ。広い空間が好きでね。楽屋にタオルと石けんとカミソリ一式を持っていたんです。それを持ってきて、これ使ってくださいと談志さんに出したら、談志さんが目むいて「お前すげえな、お前売れるぞ」って言ってくれたんですよ。それからなんだかんだって談志さんが気に入ってくれてね。 笑点が始まった時、談志さんが笑点の司会だったんですけど、今もやっていますが、若手大喜利っていうのを作ったんですよ。そのときに僕を入れてくれて。 その後、談志さんが推薦してくれたんでしょうね。私は笑点のメンバーになったんです。前田武彦さんの時にね。 メンバーになって、やっぱり気使いましたよ、みんなに。(桂)歌丸さんや(林家)こん平さんにお茶入れたりしてね。歌丸さんが「メンバーなんだからそんなことしなくていい。いい答え言ってウケればいいんだから」と言ってくれて。