多くの人がいつでも「仕事を辞めてやる!」と言えない「社会に巣食う病理」
「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは? 【写真】日本人が知らない、「1日4時間労働」がいまだ実現しない理由
いつでも「辞めてやる」といえるように
グレーバーは、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)を想像することで、BSJ現象が形成していたサドマゾヒズム状況も脱出することができるといっています。 グレーバーはBSJのもたらす精神的状況のひとつに、職場の日常的サドマゾヒズム状況をあげ、フロム的精神分析の延長上ですすめられたフェミニズムの分析を応用していました。小規模の厳格なヒエラルキー的状況のなかでは、セクシュアルではないSM状況が日常化するという分析です。 これは軍隊のような場所では極端なかたちでみいだせるでしょうが(軍隊でのいじめ問題はどこでも深刻です)、ヒエラルキーのためのヒエラルキーがあたりまえのように(たとえば、偉そうな人間を偉そうにするための仕事があるというような)なる状況では、それはどこでもはびこります。 ヒエラルキーのためのヒエラルキーを好む、閉鎖的である、モラルの倒錯性が強力である(たとえば、幸せにするための規則が、規則のために幸せを犠牲にするという発想に容易に転化する)などの条件を備えた日本は、こうした日常的サドマゾヒズムの土壌の肥沃さにかけては世界でも有数でしょう。 グレーバーもいうように、この問題を深刻化させるのは、ゲームを降りることができないという点にあります。それが、実際のSMプレイ(ゲームをやめるサインの取り決めがある)と日常的サドマゾヒズムを分かつ点であり、後者を「しゃれにならない」ものにしています。「辞めてやる」となかなかいえないということですね。 この相手が「辞めてやる」といえないことが、また人をサディスティクにしてしまう条件だとおもいます。 いじめもそう。相手が逃げられないことがわかっている閉鎖環境だからこそ、ますますいじめは昂じていきます。これはだれしも無縁ではないワナだとおもいます。わかっていてもいじめてしまう。相手が逃げられなくて恐怖で縮んでいると、ますますなにかいらいらして、叱責が強くなる。 こういう経験は(加害側か被害側かはともかく)だれだってあるとおもいます。いつでも逃げられるなら、こうした、だれも幸福にしないサディズムのゲームを最小化することができるでしょう。