【実録 竜戦士たちの10・8】(19)落合博満の「他球団の条件と比較してのFA残留」を認めなかった中日…初交渉の様子は巨人にも伝わる
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 巨人のファン感謝デーが東京ドームで開催された1993年11月23日。槙原寛己が同ドーム内で契約交渉を行い年俸1億2000万円の3年契約。さらに「慰留金」の名目で4000万円をプラスすることで、10月30日の「球団不信」発言に端を発した騒動は、槙原の要求を球団がほぼのむ形で決着した。 もう一人のFA宣言選手、駒田徳広は背番号10のユニホーム姿でファン感謝デーに参加。「巨人のユニホームは最後でしょう」。すでに気持ちの整理もついたのだろう。すっきりした表情で、獲得に名乗りを挙げている横浜についても「今の段階では何とも言えないけど、魅力は感じています。横浜以外の話も聞きますし、決めるときには早い段階で皆さんに発表します」と話した。 そして、8日のFA書類提出以降、表立った動きのなかった落合博満が名古屋市中区の中日ビル内「クラブ東海」で中日との初交渉に臨んだのは翌24日のことだった。球団代表の伊藤潤夫、落合ともに「すぐ終わるよ」と口をそろえ午後3時から始まった交渉は2時間40分にも及んだ。 長時間交渉のあと報道陣の前に見せた落合は、涼しい顔で口を開いた。 「他球団の今後の目安になっても困るから金銭は言えないけど、28日以降に交渉する球団と比べて、中日の方が高ければ残留する。もし金額が同じでも7年間住んだ名古屋だし、和歌山の記念館のこともあるから名古屋に残る」 だが中日の提示条件は、FA宣言選手へのものとしては、かなり厳しいものだった。まず、金銭的には現状維持の2億7000万円。さらに他球団との交渉解禁前日(27日)までに受諾しない場合は、この条件は白紙撤回するという。 つまり、落合が言う「他球団の条件と比較しての残留」は認めないというものだ。それでも落合は「これで来年も野球ができるということがハッキリした」と不敵に笑ってみせた。 この中日初交渉の様子は当然、巨人サイドにも瞬時に伝わる。報道陣から話し合いの内容を聞いた長嶋茂雄監督は「時期が来たら、球団が獲得に乗り出します」と自信たっぷりに話した。 この日は阪神からFA宣言した松永浩美も阪神と初交渉。その松永にはダイエーが正式に名乗りを挙げ、中日が獲得を目指す石嶺和彦(オリックスからFA)には西武も参戦を表明した。 =敬称略 (館林誠)
中日スポーツ