卒業式シーズン、校歌を大量生産した北原白秋・山田耕筰ってどんなコンビ?
日本の春は卒業と入学の季節。学校行事に忙しい時期ですが、式典に付きものなのが学校の歌「校歌」です。母校の校歌をいまだに覚えているという人は多いでしょうが、作詞、作曲者は知っているでしょうか。 調べてみるとあなたの母校の校歌が「作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰」という巨匠コンビかもしれません。駒澤大学、関西学院大学、神奈川県立湘南高校など全国100近い学校で、このコンビが校歌を手がけているというのです。
白秋が作詞した校歌の約9割が耕筰とのコンビ
北原白秋、山田耕筰コンビといえば「この道」、「からたちの花」、「待ちぼうけ」など大正末期から昭和初期にかけ、多くの童謡・唱歌を生み出したヒットメーカー。二人は日本語の美しさ、リズム感という認識で意気投合。次々と名曲を生み出しました。耕筰は「白秋の死後、いい曲が書けていない」と語ったとも伝えられています。 このコンビは童謡だけでなく、旧国鉄(日本国有鉄道)や八幡製鐵所(福岡県北九州市)の社歌、戦前の国民歌など意外なものも手がけています。さらに二人が多く作ったのが校歌でした。 白秋記念館(福岡県柳川市)によると、北原白秋が作詞を手がけた校歌は全国の大学、高校、中学校で100以上あり、「そのうち9割近くが山田耕筰とのコンビ作ではないか」といいます。NHK朝の連続ドラマ「花子とアン」の主人公のモデル、村岡花子の母校、東洋英和女学校(当時)の校歌も制作しています。 同記念館は「依頼を受けた学校に出向いて学校の雰囲気や土地柄を取材したり、行けない場合でも学校から多くの資料を取り寄せ、その学校に合った作詞を心がけていたようだ。例えばキリスト教教育の東洋英和だと讃美歌を意識したものを制作している」といいます。 同様に、山田耕筰が創立した日本楽劇協会も、「二人は校歌制作を非常に楽しみにしていたようだ。耕筰、白秋は肝胆相照らすという仲だったが、二人で学校を訪れ、白秋のつけた詞をみながら夜に酒を飲んで曲について話し合ったりしたのではないか」と話しています。 また「耕筰は作詞家の詞のイントネーションなどを大事にして曲をつけたので、今でも覚えやすい、歌いやすい。そこが長く歌い継がれる面につながっているのでは」とみています。