WAT'S GOIN' ON〔Vol. 9〕カツ丼とラーメンとバスケットボールな青森ワッツ中興の祖
別の喜び
「2012年に(下山から)選手として声掛けをいただいたときに、辞退した理由は、bjリーグの先行きが不透明だったからです。あとは、単純に年棒のことも気になりました。JBLの実業団からの誘いを断って、青森でアマチュア選手としてやっていくことに決めたのに、JBLから分裂した先のbjリーグでプレーすることに、そこまでの魅力を感じられなかった、というのが、当時の正直な気持ちです」(北谷) それでも、北谷はワッツのブースターになった。 「選手としてワッツでプレーするかどうかと、自分が暮らしている地元の青森に、大好きなバスケットのプロチームが生まれたということの喜びは、まったく別ですよ。ブースターとしては、ずっとワッツの大ファンです」(北谷) そして2017年、3×3の日本選手権で3位入賞を果たした北谷に、ふたたび下山が声をかけた。今度は選手としてではなく、青森にバスケットを根付かせるための指導者として「ワッツの運営会社である青森スポーツクリエイションの社員になってほしい」というオファーだった。 下山が、その思いを語る。 「やっぱり、チーム運営に行き詰っていたんですね。私には、バスケットの経験がない。青森ワッツを設立して、最初はお金も集まったし、県民の皆さんの支持も得た。でも、全国で試合をして、他のチームのフロントの皆さんや都道府県のバスケット協会の皆さんと交流しても、お互いにピンとこないんです。多くは、私のほうの問題だったと思いますが、深い話にならない。 そういうとき、『青森』『バスケット』というキーワードで、先方の口から出るのは必ず『北谷さん』なんですね。やっぱり、ワッツが今後もやっていくためには、どうにか、彼に参加してもらわないとダメだ、未来がないんだと。今だから正直に言いますけど、もちろん彼の家庭のことも考えました。bjリーグのときには断られていますしね。じゃあ、今回は十分な金額の給料を支払えるかといったら、やっぱりそんなことはないわけです」(下山) 実際、北谷は誘いを断り続けたのだった。 (WATS GOIN' ON〔Vol. 10〕につづく)
VictorySportsNews編集部