「許す心」が未来を開く、被爆した父の映画をアメリカで作った美甘章子さんが受け継いだ思い 【G7広島サミットへの望み】
両親とも広島原爆に遭った被爆2世の美甘章子さん(61)は、学生時代まで広島で過ごし、渡米後に父の進示さんの壮絶な証言を英語や日本語で書籍化した。2020年、著書を原作としたドキュメンタリー映画「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」を、米国人スタッフらと完成させた。 原作の日本語版「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」には、進示さんの次の言葉が紹介されている。「私は、恨みつらみに重点を置き、未来ではなくて過去にしがみつくことには賛成しない」。父から娘に受け継がれた「許す心」に込められた思いについて、臨床心理医でもある美甘さんに話を聞いた。(共同通信=木下リラ) ▽悲惨さを伝えるだけでなく共感できる作品 米国で原作の英語版を出版したのは2013年。その頃は原爆に関して米国で講演すると、旧日本軍による米軍基地への奇襲「真珠湾攻撃」を引き合いに、原爆投下の正当性を主張する人が必ずいた。しかし、最近、米国でドキュメンタリー映画の上映会をすると「自分の子にも見せたい」「世界に発信して」と称賛された。
恨みや加害責任の押し付け合いではない視点で考える世代が中心になってきたと感じる。ウクライナや東アジアの情勢を受け、自分や子どもの世代の平和や安全に対する意識が高まっているのもあるだろう。 映画は若い米国人が監督や主演を担った。被害者側でない目線を通すことで、単に悲惨さを伝えるだけでなく、見た人が自分を重ね、共感できるような作品を目指した。共感がなければ「自分に何ができるか」「他の人にも伝えたい」といった考えにつながらないからだ。 ▽「何かをなくした時は何かを得る時」 1945年8月6日午前8時15分、父は自宅の屋根の上で作業中に被爆し、全身にやけどを負った。爆心地から約1・2キロ。ほぼ半数の人がその日のうちに死亡したとされる距離だ。母は爆心地から約710メートルの勤務先の建物内にいた。背にガラスの破片が刺さるなど大けがをしたが、奇跡的に助かり、2人はやがて結ばれた。 私が幼い頃、父は共に被爆し自身を助けた後に亡くなった祖父のことや、重傷を負って動くこともできずに空を眺め「自分はこうやって死んでいくんだなと思った」という話をよく聞かせてくれた。どれも誰かを恨むような内容ではなかった。必ず「あの人のおかげで助かった」といった感謝や良い思い出で締めくくられる。そのせいか、父の経験を聞くのはもう嫌だと思ったことは一度もなかった。