京都府知事による公費での大嘗祭参列は政教分離原則に反しない 京都地裁で判決
東京でも1月に原告敗訴
令和の皇位継承をめぐっては、もう一つの判決が1月31日に東京であった。即位の礼や大嘗祭への国費の支出は政教分離原則違反であり信教の自由などを侵害されたとして、全国の宗教関係者や大学教員など317人が国に損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁(中島崇裁判長)は政教分離原則が「私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではなく」、国の行為がそれに違反しているとしても原告らの権利や利害の侵害はないとして請求を棄却。違反の有無については判断しなかった。 では平成の大嘗祭(1990年)などへの国や地方自治体の関わりについて違憲性を問うた訴訟は、どんな経緯をたどったのか。 大嘗祭などに政府が国費の支出を決めたことへの差し止めなどを求めて提起された訴訟で大阪高裁は95年、大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり「(憲法の)政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」とする判断を示し、この判決が確定した。 だがその後、大嘗祭などの儀式に知事が公費で参列したことに対して公金の返済などを求めた訴訟(大分、鹿児島、東京、横浜の4地裁で提訴)では最高裁小法廷が2002~05年にかけて、いずれも目的効果論を適用し、政教分離原則に違反せず合憲だとの判断を示している。 今回の京都地裁判決後に原告側が開いた報告集会で、弁護団から「平成の大嘗祭についての四つの最高裁判決と同じだ。お付き合いの範囲で問題ないと言い切った」「請求棄却の結論へと導く理由として、社会的儀礼という言葉を多用した不当判決だ」などの批判が相次いだ。諸富健弁護士は「旧統一教会問題のように政治が宗教と結びつくことが現実に起きている中で、政教分離原則を曖昧にしておくことを許すと、国家と宗教が簡単に結びついてしまう。これを厳格に分けないのは政治のあり方として危惧される」と発言。原告側は2月20日に控訴した。
平野次郎・フリーライター