NHK『光る君へ』“三浦翔平の脇チラ”からどうしても目が離せない理由
35歳・三浦翔平の整合性
伊周は、続けて「私はもう大人です」と発言する。「自信家の青年」という人物紹介をよく表すフレーズだけれど、待てよ。確かに三浦が演じる伊周は、大人の青年に見える。当時の慣例としてすでに成人しているとはいえ、現代の感覚からすると年齢的にはまだ少年。 伊周の元服は、花山天皇時代の985年。12歳のとき。晴明との挨拶場面は、花山天皇の退位、一条天皇の即位直後の986年だから、13歳の伊周を35歳の三浦翔平が演じていることになる。 いやいや、俳優の実年齢と役柄が完全にバグってるって(!)。バグってはいるけど、三浦のたたずまいは、不思議と整合性がとれてもいる。 清少納言が伊周びいきならば、ここは筆者も青年・伊周を演じる三浦びいきといくしかなさそうだ。
伊周と道長の弓比べ
ひいきというと、兼家の後を継いで、摂政・関白になる道隆の身内びいきにまさるものはない。元服後の伊周をどんどん出世させて、992年に権大納言、994年には内大臣となる。道隆の弟・道長(柄本佑)の位を軽々と越えてしまうのだ。 位が上の甥(伊周)と位が下の叔父(道長)が初めて戦う場面がある。第14回で描かれる有名な「競べ弓」だ。 道隆の屋敷で弓遊びをしていた伊周の元へ道長がやってきて対決するエピソードなのだが、これは藤原家の摂関政治に通じた者が書いたとされる『大鏡』に記述がある。 関白・道隆が道長をもてなそうと、位が上の伊周より先に弓を引かせる。的を射止めた弓の数、2本差で道長が勝利(ドラマでは嫌々の道長が手加減して負けている)。すると道隆が延長戦を命じる。またしても道長が勝利し、座が白けるというもの。
伊周の脇がもうすこし濃かったら……
弓を引く前に互いに願い事をいって的を狙うのも緊迫感がある。「我、関白となる」という身の丈をこえた願いを込めた伊周が、あからさまに的を外してしまう瞬間には、道長との激しい政争に敗れる伊周のその後が裏打ちされてしまう。 ドラマ内では、「我、関白となる」といって弓を引く前、伊周の左乳首がチラリとのぞく。道長が一糸乱れないだけに、このチラリは伊周の若干の動揺を描いている。 平安貴族が着物をはだけるつややかさについ目を奪われながら、脇目も振らず、歴史的叙述に徹したいところが、ダメだ、どうしても三浦翔平の“脇”に注目してしまう(!)。 あぁ、うっとり……。ビジュアルに気をとらわれてはならないと自戒を込めつつ、三浦の脇のつるっと薄いことが気になって仕方ない。うーん、これは少年のうぶを表現するうぶ毛ということになるのだろうか。 対する柄本扮する道長は、ボーボー。息子・頼通と続く約70年の摂関政治の安定期を象徴する毛根の強さだ。伊周のうぶ毛など、つるっと剃り上げてしまえとばかり。 クレオパトラの鼻がもうすこし低かったらというパスカルの名句にならえば、伊周の脇がもうすこし濃かったら、歴史は変わっていたのかもしれない(なんてね)。 <文/加賀谷健> 【加賀谷健】 音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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