「東大生は犯罪者、日大生は人民」――〈全共闘の女性闘士〉が東大を憎み、日大を愛した理由
民青と全共闘の対立点
柏崎にとって、東大の「改良闘争」には意味がない。東大が存続する限り「人民を抑圧し、支配する“権威”の象徴であり、その傭兵をつくり出す機関」であることは変わらないからである。「東大を根底から解体し、破壊する」ことを柏崎は主張した(『太陽と嵐と自由を』)。 その柏崎の最も憎む敵の一つがほかならぬ民青である。「他大学生は帰れ!」「東大の問題は東大で解決する」という民青の呼号は「極めて右翼的、排外主義的煽動」であり、「東大生の最も醜い他大学生蔑視の風潮」につけこむものだ、と柏崎はいう。 現に、東大闘争には政治党派(民青も含む)の動員などによって多数の「外人部隊」、つまり学外者が参加した。東大全共闘と並び称される日大全共闘も応援出動し、東大構内における民青との武力衝突やバリケードの構築で活躍したことはよく知られている。
日大を愛した「ゲバルト・ローザ」
しかし東大全共闘と日大全共闘は、彼ら自身そう認識していたように、性質が異なっていた。東大が「ブルジョア支配権力の大学における象徴」「官僚・エリート育成の場」であるのに対し、日大は「独占資本と癒着し、中堅労働力育成のために、営利主義を貫きつつ、徹底して恐怖政治的学生自治弾圧をなしてきた」大学である(「11・22東大=日大闘争勝利全国学生総決起大会に結集せよ」)。 日大全共闘の東大闘争への参加は、10万学生を抱えるマンモス私大が生み出す未来の「中堅労働力」が、「官僚・エリート育成の場」である東大の解体に参加したことを意味する。 前述の柏崎は、20億円の使途不明金問題を発端とする日大生の決起に強い衝撃を受けた。東大教養学部から大学院に進んだ柏崎自身、日大生を「ポン大生」と呼んで小馬鹿にしていた過去があることを認め、深く恥じた。 それ以降の柏崎が東大の教官や民青、ノンポリ東大生への敵意をむき出しにする一方、日大生に対する愛着を深めていったことは興味深い。「実際、私はなぜだか知らないが、日大の連中がとても好きなのだ。飾りっ気がなく率直で、そのうえ、やるときは徹底的にやる、そんなところがひどくピッタリくるのだ。理屈は人並み以上にこねても、いざというときは、ちっとも動かなくて頼りにならない東大生の一般的な欠点を、日大の学友といっしょにいると、とくに強く感じさせられる」(柏崎前掲書)。