《混迷するリニア開業①》当初リニアに前のめりだった川勝平太・静岡県知事、10年前のシンポジウムで語った「注文」
■ 過去には開業に至らなかった「成田新幹線」のケースも この時点で、JR東海は2027年の開業を明言していた。つまり、川勝知事はJR東海以上にリニアに前のめりだったことになる。ただし、川勝知事の講演を詳細に読むとリニアを推進しながらも建設の手順については注文をつけている。 川勝知事はリニアの工区を3つに分け、第一工区は東京(品川)―山梨間、第二工区は名古屋―岐阜(中津川)間とし、最後に静岡を開業させるべきだと提案している。 すでに山梨県には約42.8kmの実験線が建設されていた。川勝知事が第一工区として着手すべきとした東京(品川)─山梨間は、この実験線を最大限に有効活用して東京と既設の実験線とを結ぶことを示唆している。 だが、東京―名古屋間を一気に開業させる計画を進めていたJR東海にとって、川勝知事の提案は話にならない。同社は川勝知事が講演で触れた建設手順を一顧だにしなかった。 確かにむちゃくちゃな提案だが、これは静岡県知事という立場を考えれば理解できなくもない。なぜなら、静岡工区を先に完成させても、ほかの工区が完成しない可能性があるからだ。その場合、静岡県は「リニアは開業せず、しかも大井川の水だけを失う(かもしれない)」という状態に追い込まれる。 JR東海も莫大な費用を投じて建設したのだから、開業させるに決まっている――とはならないだろう。 過去には東京駅と成田空港を結ぶ高速鉄道として「成田新幹線」が計画されたが、1974年に着工されて立派な橋脚が完成したものの、他の用地買収が進まず開業には至らなかった。 成田新幹線のために建設された構造物は長らく放置され、ようやく2010年に京成成田空港線に転用されて日の目を見た。成田新幹線のために建設された構造物なら再活用もできるが、失われた河川の水を取り戻すことは不可能に近い。
■ 静岡県を素通りする「のぞみ」に不信感を募らせた前知事 そもそも静岡県民はJR東海に対して、旧来から不信感を抱き続けてきた。静岡県とJR東海の対立はリニアから始まったわけではなく、それ以前より真っ向から対立することがあり、そのたびに静岡県は辛酸をなめ続けてきた。 それは川勝知事が就任する前までさかのぼる。川勝知事の前任者である石川嘉延知事(当時)は、JR東海が1992年から登場させた「のぞみ」に対して苦々しく感じていた。静岡県内には6つも新幹線駅が開設されているが、どの駅にも「のぞみ」が停車しないからだ。 JR東海は年を経るごとに「のぞみ」の運行本数を増やしていったが、静岡県を素通りする新幹線に対して県知事が快く思わないのも当然で、石川知事は「のぞみ」に対して通過税を課税すると宣言した。それは暗に「のぞみ」を静岡駅もしくは浜松駅に停車させることを求めるものでもあった。 それに対して、JR東海はどこ吹く風という対応を取った。なぜなら、「のぞみ」に通行税を課されたとしても、運賃などに転嫁できるので懐は痛まないからだ。 むしろJR東海は、通行税を取るなら静岡県に新幹線を停めない、つまり全新幹線を「のぞみ」にすることをほのめかした。そして、JR東海の反撃に対して石川知事は白旗を上げた。 その後、静岡県を通過する「のぞみ」は増え、通過される静岡県の状態は30年以上も続いた。静岡県民がJR東海に不信感を募らせているのは、こうした積年の思いがあるためだ。 さらに静岡県とJR東海の対立構図を複雑にしているのが、静岡県と県都・静岡市の対立である。 静岡市は2005年に政令指定都市に移行し、静岡県とほぼ対等な立場になった。そうした静岡市の存在が不満だったらしく、川勝知事は平然と「静岡市は政令指定都市の失敗例」と静岡市民の感情を逆なでする発言をしている。 さらに2011年に静岡市長に就任した田辺信宏市長との関係も悪かった。それが、また川勝知事の「静岡市嫌い」に拍車をかけ、静岡県と静岡市を実質的に合併する静岡県都構想を提唱する。これは言うなれば政令指定都市・静岡市を無きものにする構想といえる。 この構想に対して、田辺市長は猛反発。静岡工区の工事を始めるには、重機などが林道を通らなければならない。それらは静岡市の権限になるが、田辺市長は川勝知事と足並みを揃えずに、早々に許可を出している。 こうした一連の経緯もあるため、静岡市内における川勝知事の支持は決して高くない。それが如実に表われたのが、2017年の県知事選だった。川勝知事は県内全域で過半数を上回る得票だったが、静岡市の葵区と駿河区だけは対立候補の票数を下回った。 静岡市における川勝支持は低いものの、静岡市民がリニアに賛成しているのかといえば、それも違う。当時の静岡市民は「川勝知事は支持しないが、リニアにも賛成しない」という状況だった。