【陸上】男子やり投の元日本記録保持者・武田敏彦氏が死去 日本人初の80mスロワー 82年アジア大会金
男子やり投の元日本記録保持者で、1982年アジア大会金メダリストの武田敏彦氏が1月29日、肺がんのため亡くなった。67歳だった。 大牟田高元監督の大見治夫氏が死去 全国高校駅伝で5度の日本一 武田氏は山形県寒河江市出身。中学時代は野球部だったが、寒河江工高では陸上部に入部。肩の強さを買われてやり投を始めた。高校2年の三重インターハイと翌年の久留米インターハイに出場すると、74年の茨城国体で3位と全国初入賞を果たす。 順大に進み、3年時の日本インカレで全国大会初優勝。直後の青森国体でも優勝を果たし、トップクラスの選手に成長すると、大学4年の78年にはバンコクアジア大会で銀メダルを獲得している。 大学卒業後は地元に戻り、体育指導員として勤務するかたわら競技に専念。その年の実業団・学生対抗で80m02を投げ、日本記録を10年ぶりに更新するとともに、日本人初の80m超えを達成した。(※男子やり投は1986年に現行規格へ変更) モスクワ五輪イヤーとなった80年からは活動拠点を滋賀県に移し、日本の五輪ボイコットが決まった後の五輪選考会で優勝。80m00と参加標準(81m00)には届かず“幻の五輪代表”は逃したが、9月の8ヵ国対抗陸上では82m24と自身が持っていた日本記録を2m以上更新している。 日本の第一線から退いた後も滋賀県選手権などに出場。91年頃まで競技を続けていた。現役時代から高校教員として奉職し、退職してからも後進の指導に努め、近年も22年国体・U18陸上優勝の谷口大翔(彦根翔西館高)、昨年のインターハイと国体を制した渡邉宙(草津東高)ら県内の高校生たちにアドバイスを送るなどしていた。
月陸編集部