スティーヴン・スピルバーグ&ブラッドリー・クーパーが語りつくす!渾身の一作『マエストロ:その音楽と愛と』の舞台裏
ブラッドリー・クーパーの監督2作目『マエストロ:その音楽と愛と』は、偉大なる作曲家で指揮者でもあったレナード・バーンスタインと、妻で俳優・音楽家としても知られるフェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインの日々を描いている。今作の製作総指揮には、マーティン・スコセッシとスティーヴン・スピルバーグが名を連ねる。11月にハリウッドのチャイニーズ・シアターで行われたIMAX上映後のスペシャルトークセッションに登壇したスピルバーグとクーパーは、企画の成り立ちから、本作で描かれる“スヌーピーが通り過ぎるシーン”の撮影についてまで、フィルムメイカーとしての会話を繰り広げていた。そのなかから、ブラッドリー・クーパーの監督、役者としての哲学が表れている会話を抜粋してお届けする。 【写真を見る】美しいドレスに身を包みスピルバーグ、クーパーと共に現れたキャリー・マリガン ■『マエストロ: その音楽と愛と』はレナード・バーンスタインの伝記映画ではない スピルバーグ「ブラッドリーが『アリー/ スター誕生』を初めて観せてくれた時、本当に驚きました。このような『スタア誕生』のリメイクは観たことがなかったし、これが初監督作品だとは信じがたかった。さらに驚かされるのは、『マエストロ:その音楽と愛と』が監督2作目だということ。まずは、今作の製作についての長い道のりについて話しましょうか。発端はマーティン・スコセッシでした。彼が(プロデューサーの)ジョシュ・シンガーと組んで本作の企画開発を始めたけれど、彼は『アイリッシュマン』を先にやることになった。私はどうしてもこの作品を作りたかったんだけど、その時はすでに『ウエスト・サイド・ストーリー』に着手していて難しくなってしまった。そこで、ブラッドリーに電話したんだ。君は脚本を読んで、子どものころに指揮者の真似をしていたことを話してくれましたね」 クーパー「僕らが『アメリカン・スナイパー』を一緒にやっている時(スピルバーグはのちに降板し、クリント・イーストウッドに交代)、指揮へのこだわりについて話したんでしたね。8歳の時に、サンタクロースにタクトをくださいとお願いして、『トムとジェリー』や『ルーニー・テューンズ』のバッグス・バニーのように、自分の手や動きで魔法のように音楽を生みだすことに夢中になっていたんです。そして今回、『バーンスタインの伝記をやるかもしれないから、読んでみる?』と脚本を渡してもらったのが始まりでした。僕はなにかに夢中になると凝り性になってしまう性質で、脚本をもらって1時間後には、恥ずかしくなるくらいたくさんのテキストメッセージを送っていました」 スピルバーグ「テキストメッセージの交換は7か月間にも及びました。ブラッドリーがジョシュと一緒に企画開発を始めるようになって、気づいたことがあります。私やマーティンはバーンスタインの伝記映画を作ろうとしていました。でも、この『マエストロ:その音楽と愛と』はレナード・バーンスタインの伝記映画ではありません。これは結婚についての解剖学であり、自分の内面を見つめる解剖学の映画です。フェリシアや周りの人々が、レナード・バーンスタインとは何者かを知っていたとしても、彼は自分自身を“世界に対してどう表現していたのか”という映画です」 クーパー「バーンスタインについてのリサーチを始めてすぐに、普通の伝記映画にする理由はないとわかりました。それでは、すでにイメージが出来上がっているバーンスタインのモノマネをするだけの映画になってしまう。なによりも興味が湧いて夢中になったのは、キャリー(・マリガン)がすばらしく演じてくれたフェリシティとの結婚生活における関係性でした。そして、バーンスタインの音楽にはなにか核になるようなものがあると感じていて、その関連性を見つけられるのではないかと考えたのです。それが僕らの目指す方向性になりました」 ■キャリー・マリガンと絆を築くため行ったドリーム・ワークショップ スピルバーグ「キャリーとあなたは、キャラクターを自分自身に垂直統合していますね」 クーパー「アクターズ・スタジオで、サンドラ・シーキャットに師事したエリザベス・カンプから学んだ方法です。ドリーム・ワークショップというのですが、何週間にもわたって自分の夢を記録し、それを共演者と共有するものです。今回は、キャリーと彼女の演技指導コーチと3人で6日間、自分が演じる役柄が抱く夢について書き綴りました。それを相手に共有し、最終的には共演者に向かって一人芝居をしてみせる儀式のようなものです。このワークショップのゴールは、なにかを分かち合い相手に弱みを見せ、お互いを信頼し合える絆を築くことです。このワークショップはほかのプロジェクトでもよくやっていて、『アリー/ スター誕生』の時はレディー・ガガともやりました。効果抜群で、脚本を書いている時にもどんどん相手のことが浮かんでくるようになります。とてもかけがえのない時間を過ごせたので、撮影現場でも大胆に演じることができるようになりました」 ■俳優と監督、両方の仕事をこなしたブラッドリー・クーパー スピルバーグ「レナード・バーンスタインとして演技していながら演出もして、カメラの両側で仕事をしているわけですが、どうやってこなしていたのですか?撮影を覗きに行った時、あなたは役柄になり切ってバーンスタインのような口調でセリフを発しながらも、カメラのドリーの押し方を指示したり、撮影監督と技術的な会話をしていたのが興味深かったんです。カメラの両側で自分自身を輝かせる俳優たちは前からいましたが、2役を担ってみてどう感じていますか?」 クーパー「それはつまり、僕はずっと自分を役者でありフィルムメイカーだと思ってきたからです。その考えにずっと取り憑かれていたようで、自分の脳が最も心地よいと感じる場所に辿り着いたんだと思います。集合時間の5、6時間前に撮影現場に入って、この仕事のために数年間探求を重ねてくれたすばらしいメイクアップアーティストのカズ・ヒロの技で、レニーになり切っていました。なので、実質的にレナード・バーンスタインがそこにいたのです。あなたが撮影を訪ねてくれた時、レナード・バーンスタインがスティーヴン・スピルバーグと話しているようで、すごくいいなと思ったんですよ。おかしな話だけれど(笑)。2019年にディズニー・コンサート・ホールで僕が指揮する姿が『サタデー・ナイト・ライブ』のコントのように見えるかどうかのテストをしましたよね。本当は怖かったんです。でも、あなたはそばにいてくれました。その時の写真があります」 スピルバーグ「そう、レナード・バーンスタインと一緒に撮った写真をオフィスに飾っていますよ。私は新型コロナウイルス感染症対策のマスク姿で、マスクなしのバーンスタインと一緒にiPhoneを覗き込んでいる写真です」 クーパー「傍から見たらおかしく見えるかもしれませんが、レニーの話し方のままでいるのはそのほうが楽だからです。彼のようなリズミカルな口調や音楽的なトーンから抜けだして監督に戻るなんて、想像できません。このキャラクターについて何年も研究してきたので、演じようと考える必要もなかったくらいです。僕が信じて思い切って飛び込むことが大事でした。それが監督として演出する映画に、役者としても出演するのに本当に重要なことだと思うんです。共演者がセットに入ってきた時に、僕が失敗を恐れずにやっている姿を見たら、彼らも崖から飛び降りる覚悟を持ってくれるでしょう」 ■保険となるショットも撮らず、迷うことなく撮影を進められた理由 スピルバーグ「あなたは一度決めたことに対し決して振り返らずにやり遂げる、とても大胆な演出家だと感じました。スヌーピーが感謝祭のパレードでアパートの窓の外を通り過ぎる前の、レニーとフェリシアの力強く爆発的なシーン。あの美しいシーンことです。肩越しのテイクも、クローズアップも撮っていない。いくつかのテイクだけ。このシーンのコンセプトについて少し聞かせてもらえますか?保険となるショットも撮らず、基点となるショットを撮影していました。編集の際にも気が変わらなかったようですね」 クーパー「おっしゃる通りです。それにははっきりとした理由があって、ジョシュと僕はこの映画の脚本執筆に多くの時間を費やしたので、撮影のあらゆる可能性と方法がすでに頭の中に浮かんでいました。撮影現場に入るころには、自分がこの映画をどう見ているかが明確になっていました。例えば、夫婦喧嘩のシーンについて使っているのは3テイク目で、キャリーも僕も満足のいくテイクが撮れたことがわかっていました。プロデューサーも、『予備ショットは必要ない』と後押しをしてくれました。あのシーンはワイドショットであることが重要で、レニーは自分が信じる真実について語り、次のシーンで振り返ると『ペンザンスの海賊』のような髭面で、我々に顔向けすることすらできなかったんだなと気づくのです。そしてフェリシアはヴィクトリア朝の鳥籠の中にいるようで、彼女の愛の代償がなんであったかが明らかになるシーンです。だから、クローズアップショットを撮るという撮影プランはありませんでした。 頭の中でどのように映画を作るかを練り上げて、それを実行に移したわけではありません。このシーンは、子どものころに両親が喧嘩するのを見ていた経験からきています。両親を仲裁するでもなく、僕はいつも姉と一緒に遠くから見ていました。この映画の多くのシーンにも、そんな雰囲気を込めたかったのです。例えば、プールサイドで彼らが話しているシーン。僕らは離れたところにいて、聞いてはいけない話をしているような感じだけど、止めることもできないし、不安になっている。僕は子どものころ、ずっとそう感じていました。それを観客にも感じてもらいたかったんです。そして、このシーンにはキメのセリフがあって、さらにオチがあるので、クローズアップに寄ってからワイドショットに移り、それからスヌーピーが窓の外を通ったらおもしろくなくなってしまう。複数の理由があったわけですが、驚異的な才能に恵まれたキャリー・マリガンがあのシーンを見事に先導し演じてくれたおかげで、映画として大胆な演出ができたというわけです」 スピルバーグ「私が監督できなくなってしまった『アメリカン・スナイパー』で、クリント・イーストウッドが彼のキャリアで最高の作品のひとつをブラッドリーと一緒に作ってくれました。あなたはクリント・イーストウッド、ギレルモ・デル・トロ、デヴィッド・O・ラッセルなど、すばらしい監督たちと仕事をしてきましたが、俳優として自分の仕事を区別し、同時に監督たちの技術を観察することは可能なのでしょうか」 ■名だたる監督たちから多くのことを学んできたクーパー クーパー「恐らく僕は、本当に面倒くさい人間なんですよ。僕はデヴィッド・O・ラッセルの映画学校に通っていたようなものです。彼らに聞いてみないとわからないけど、僕のことを見抜いていたような気がする。というのは、僕はどの映画でも監督が編集しているスタジオに何か月も出入りしていて、俳優仲間に『どうしてそんなことができるんだ?』と言われていたから。彼らが作りたい映画を作る手助けがしたかっただけなんです。僕もあなたもクリントのことをよく知っていますよね?彼は、『そんなヤツは前代未聞だ』と思っていたけれど、早い段階で『この男は俺と一緒で、目指している方向が同じなんだ』と気づいてくれたようです。フィルムメイカーとして、同じ目標を持った監督には『あなたの考えをすべて教えてください』とお願いしてきました。彼らがクリエイティブ面で僕に門戸を開いてくれたおかげで、これらの映画監督たちから多くのことを学ぶことができたと思います。まず第一に、僕は撮影現場が大好きで、セットを離れることがありませんでした。J・J・エイブラムスと『エイリアス』をやった時も、ずっとセットから離れなかったので(笑)」 スピルバーグ「この映画での旅路は、並外れたものだったことでしょう。私はとてもうれしいんです。君をこの映画の監督として雇った自分はよくやったと思うし、この映画の監督に就任し、今夜私たちにこんな体験を与えてくれた君を誇りに思います。ブラッドリー、どうもありがとう」 文/平井伊都子