揺れる「みそ玉」が告げる春の訪れ 地域に根ざす食文化だったけれど…つくり手は減少
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】夫も好きだった「玉みそ」熟成させて完成 みそ造りの手はすべすべに
全身を包む芳醇な香り
岩手県沿岸部に位置する野田村の作業小屋に自家製の「みそ玉」が揺れている。 90歳の北田白礼于(はれに)さんに頼んで作業小屋に入れてもらうと、全身が芳醇(ほうじゅん)なみその香りに包まれた。 「ね、良い香りでしょ?」と満面の笑みで90歳が言う。 「作り方はとっても簡単」 3月、数十キロもの大豆を一晩水に漬けて大釜で煮込む。 水をきってすり潰した後、つり鐘状に固め、わら縄でつり下げる。 5月まで風にあてると、乾燥してひびが入り、カビが生えて発酵が進むという。 「こうして風を通すとね、なんともコクのあるみそになるんだわ」 みそ玉はその後、塩とこうじを混ぜて1年ほど熟成させ、村の直販所で「玉みそ」として販売する。
津波が奪った地域の食文化
地域ではかつて、どこの家でも囲炉裏にみそ玉をつるしていた。 やがて囲炉裏が消え、みそ玉を作る家が減り続けていたときに、東日本大震災が起きた。 北田さんの作業小屋も約1メートル浸水し、機械が壊れ、みそもダメになった。 多くの人がみそ玉作りをやめた。津波は地域の食文化さえも奪ってしまった。 70代まで出稼ぎで暮らしを支えた夫は2022年5月、97歳で他界した。 「夫も玉みそが好きだった。完成したら仏壇に供えたい」 発酵食品を食べると、肌が若いままに保たれるという。 北田さんの顔や手は、40代後半の私の肌よりすべすべである。 (2023年4月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>