「井上尚弥選手と戦えた。それが僕の人生の誇り」怪物に初めて挑んだ日本人ボクサーが死闘で得た勲章
<いまや世界中のボクシングファンの注目を集める井上尚弥選手。対戦相手たちの証言を元に、その強さの秘密、闘うことの意味について綴った『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(森合正範著)が4万部超えのベストセラーとなっている。 【衝撃】メイウェザーをとりまく美女たちがグラマラス過ぎて… 2023年度の「ミズノスポーツライター賞最優秀賞」も受賞した本作の中でも特に評判の高かった、「井上尚弥が初めて戦った日本人」佐野友樹との死闘を描いた章を特別公開する――。>
まだ「モンスター」ではなかった
これが何度目の取材になるのだろうか。 私は松田ジムを訪れ、トレーナーの佐野が指導をする姿を見つめていた。小学校高学年のジム生が佐野の持つミットをめがけて、コンビネーションを打ち込む。洗練された動きに驚いた。 「凄いでしょ?」 佐野はミット打ちが終わると、私の元へやってきた。佐野も小学校五年からこのジムに通った。 「どう? 佐野さんの小学校時代もあんな感じの動き?」 私は冗談交じりに聞いた。 「もう全然……。僕は本当に鈍くさかったですよ。センスもなかったし。だからトレーナーになってから、才能はなさそうだけどすごく練習する子を見ると、つい応援したくなるんですよね」
「あの言葉」の真意を
井上との試合から月日が経った。 あの日、佐野は試合後の控え室で、日本人ボクサーに呼びかけた。 「みんな、井上と闘うなら今しかない。来年、再来年になったらもっと化け物になる。歯が立たなくなるぞ」 当時、ボディーを打てばうめき声が聞こえ、試合後半になれば息づかいが荒くなり、経験値でも攻略の糸口があった。 「僕との試合が井上君にとって初の十ラウンド。彼には経験がなかった。最後のほうはかなり疲れていましたもんね。精神的な部分で揺さぶるしかないと思っていたし、『若いな』と思う部分もあったんです。正直、あのときはまだ『モンスター』ではなかったですよ。対戦オファーをみんなが断っていると聞いていたので、今しかやれんぞ、これでキャリアを積んだら、誰も太刀打ちできなくなる、だから『やるなら今しかないぞ』と思って言ったんです」 すぐに「だけど……」と言葉を紡いだ。 「あのコメントは外れていますよね。正直、ここまで強くなるとは思わなかった。もう日本人の誰も手が届かないところに行ってしまった。(世界六階級制覇の)デラホーヤとかスーパースターのレベル。あんなことを言ってしまって、ちょっと恐縮しています」 そう言って苦笑いを浮かべた。 「度胸が凄いんだよなあ」 独り言を漏らし、続けた。 「闘っていると分かるんですよ。人間性が見えるというのかな。井上君はパワー、スピード、距離感、技術、柔軟性、目の良さ……全部素晴らしかった。でも、一番凄いのは心だと思う。あのとき二十歳ですよね。あれだけ注目されても周りのことは一切気にならない。格好をつけることもしない。自然体なんですよね。落ち着いているんです。それって実はすごく難しいことだと思う。あんなふうには誰もできないですよ」 佐野は感服するかのように言った。 「心・技・体でいうと、技と体が凄いのに心が弱いボクサーって多いんです。井上君は試合中に心の揺らぎがなかった。どんなときでも平然としていた。心がしっかりしているから、あれだけのパフォーマンスができる。僕は闘ってみて、ハートがモンスターだと思いました」