キラー・カーン追悼…アメリカでの出世を見てきた先輩レスラーが語った思い出「指一本触れずに女性を失神させる」【週刊プロレス】
キラー・カーン、ミスター・ヒトのプロフィル
<プロフィル> キラー・カーン…本名・小沢正志。1947年3月6日生まれ、新潟県蒲原郡吉田町(現燕市)出身。中学卒業後、大相撲・春日野部屋に入門。63年3月に初土俵。越錦の四股名で最高位は幕下40枚目。1970年に廃業すると、翌1971年1月に日本プロレスに入門。吉村道明の付け人を務め、同年11月20日、桜田一男戦でデビュー。1973年4月、坂口征二に付いて新日本プロレスに移籍。同年12月、第1回カール・ゴッチ杯で準優勝。1976年8月に海外武者修行に出発。一時帰国後の1978年にメキシコに再出発してモンゴル人キャラクターに変身。1979年3月にアメリカに渡り、キラー・カーンを名乗る。1980年末にWWF(現WWE)入り。いきなりニューヨークMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)のメインイベントでボブ・バックランドの保持するWWFヘビー級王座に挑戦する。1981年5月、ニューヨーク州ロチェスターでの試合でアンドレ・ザ・ジャイアントの右足をニードロップで骨折させたとして世界的に名が轟く。アンドレ復帰後は全米各地で遺恨試合が繰り広げられた。長州力率いる維新軍に加わり、日米を往復しながら参戦。1985年にはジャパン・プロレスに移籍、日本での戦場を全日本プロレスに移す。長州らの新日プロUターンをアメリカで聞いて戦場をWWFに移すも、1987年11月、当然の引退を表明。その後は、歌手として活動するかたわら、新宿区内でスナック、居酒屋、歌謡居酒屋を経営。2023年12月29日、営業中に動脈破裂を起こして救急搬送されるも帰らぬ人となる。76歳だった。 ミスター・ヒト…本名・安達勝治。1942年4月25日生まれ、大阪市天王寺区出身。出羽の海部屋に入門し、浪速海の四股名で1960年5月場所で初土俵。最高位は幕下17枚目。1967年初場所を4勝4敗で勝ち越して引退。その後、日本プロレスに入門する。日本プロレス崩壊直前に永源遙とともにアメリカに遠征。トーキョー・ジョーのリングネームでカンザス地区をサーキット。カナダに転戦した際、ミスター・ヒトを名乗る。カルガリー地区のプロモーター、スチュ・ハートに気に入られ、コーチ、トレーナーとしての手腕も発揮。同地に定着しながら西ドイツ(当時)、フロリダ、テキサス、日本、東南アジアなどを転戦する。カルガリーでは自宅のベースメントに若手日本人レスラーの住まわせて面倒を見たほか、日本に外国人レスラーを送り込むブッカーの役割も果たした一方、1988年のカルガリー冬季五輪では日本へのテレビ中継にも貢献。カルガリー地区の衰退ともに現役を引退。1990年10月、SWSのレフェリーとして参加したのを機に帰国。旗揚げ間もないPWCや大日本プロレス、レッスル夢ファクトリーでコーチとしてレスラーを育てる。大阪でお好み焼き店を経営していたが糖尿病悪化により2010年4月20日、大阪市内の病院で死去。67歳。同日、大阪府立体育会館第2競技場で行われた新日本プロレスの興行で追悼の10カウントゴングが鳴らされた。
週刊プロレス編集部