えっライダーたち全員死亡? 『スカイライダー』衝撃最終回とその後の「復活」の理由
新ヒーロー「仮面ライダーV9」とは?
●8人ライダーの「消滅」と「復活」の理由 では、なぜ8人ライダーは消滅しなければいけなかったのでしょうか。 話は『仮面ライダー』のテコ入れ時までさかのぼります。このとき、テコ入れ案として有力だったのが、新しいライダー「仮面ライダーV9」の投入でした。スカイライダーとの交替、あるいはダブルライダー制などが検討されましたが、歴代ライダーの客演が好評だったためV9の投入は見送られ、V9の設定を再構成して次番組『スーパー1』が生まれます。 『仮面ライダー』のテコ入れ時にはメインライターだった脚本家の伊上勝氏が降板し、江連卓氏が新たなメインライターになっていました。江連氏は引き続き、『スーパー1』のメインライターを務めます。視聴率やキャラクター商品のため、『スーパー1』にも8人ライダーを出してほしいという要請がありましたが、江連氏は「もういらないだろ」と却下したそうです(『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.5 仮面ライダーX』講談社)。 「人間というのは、身体を鍛えられるだけ鍛えて、考えられる限りのことを考えて、そうして敵に打ち勝つんだ、ということを子供に教えたい主義」と語る江連氏は、スカイライダーにも多くの試練を与えていました。そして『スーパー1』が始まるにあたり、歴代ライダーの客演にひと区切りつけるために全員で消滅した。そんな推測が成り立ちます。 ところが、あっさり8人ライダーは復活します。1981年3月に「東映まんがまつり」の1作として公開された、映画『仮面ライダースーパー1』でのことです。8人ライダーが唐突に登場し、再生された「ネオショッカー怪人」と「ドグマ怪人」の混成部隊である「ドグマ復讐兵団」と戦いを繰り広げますが、話の本筋にはあまりからんでいませんでした。 当初は8人ライダーの登場予定はなく、クランクイン直前に登場が決まったそうです。8人ライダーの復活は、興行上の要請だったと言われています。 80年代に入ってからの「東映まんがまつり」は60年代、70年代に比べるとパワーダウンは否めず、『スーパー1』の併映は『一休さん 春だ! やんちゃ姫』(劇場用オリジナル新作)、『世界名作童話 白鳥の湖』(新作)、『タイムパトロール隊オタスケマン アターシャの結婚披露宴!?』(新作だがほぼダイジェスト)というラインナップでした。 「東映動画創立25周年記念映画」と銘打たれた『白鳥の湖』は75分の長編でしたが、事実上、興行の目玉は『スーパー1』と言って間違いありません。『白鳥の湖』をコケさせるわけにはいきませんが、60年代ならいざ知らず、SFブームの真っ只中では名作の長編は逆に足を引っ張る可能性がありました。TVで高い人気を誇っていた『スーパー1』ですが、単独ヒーローでは弱く感じてしまいます。そこで8人ライダーの復活という話題性が必要になったのでしょう。 公開直前に発売された『テレビマガジン』1981年4月号では、スーパー1を含む「9人ライダー大特集」が組まれ、子供たちへのアピールを行っています。グラビアページでは9人ライダーが2チームに分かれて綱引きをしたり、仲良く扇のポーズなどを決めたりしつつ、8人ライダーが宇宙から復活した経緯などが説明されていました。結果、「東映まんがまつり」は配給収入7.1億円と、まずまずの成績を収めています。 このときに復活しておいたおかげで、その後も映画版『仮面ライダー』シリーズや「スーパーヒーロー大戦」シリーズなどで、「オールライダー」を気兼ねなく出せるようになりました。大人の事情による復活とはいえ、英断だったと言えるのではないでしょうか。
大山くまお