阪神・岩崎の清水東時代の恩師・輿石重弘氏 球持ちのいい投球フォームの誕生秘話明かす 要因はシャドーピッチングに
ノースアジア大明桜の輿石重弘監督(61)が17日、通算500試合登板まで1試合に迫る阪神・岩崎優投手(33)へエールを送った。同記録は球団史上7人目、NPB110人目となる。輿石監督は帝京三時代に外部コーチとして月に一度、清水東でプレーしていた岩崎を指導した関係があり、左腕も野球人生で影響を受けた人物として名前を挙げるほど。球持ちのいい投球フォームの誕生について、当時の秘話を恩師が明かした。 【写真】清水東時代の岩崎 投球フォームは今とそっくりもまだまだ顔はあどけない ◇ ◇ 岩崎が高校生の時、3年間、月に一度ほど清水東におじゃまさせてもらっていました。同校の羽根田監督から「おもしろい選手がいるので見に来てほしい」と依頼を受けたことがきっかけでした。ただ僕の第一印象はおもしろい投手には見えなくて(笑)。手足は長いけど、そんなに足が速いわけではないし、ボールのスピードもあるわけではない。体もうまく使いこなせてないし、高校1年生としてはごくごく普通の投手に見えました。 最初は野球教室をやったんです。野球とは?というところから始まって、野球に取り組む姿勢、メンタル面、野球の基礎と基本、野球以外のことが大事なんだよという話をさせてもらいました。岩崎はそれを一字一句逃さずノートに書いていました。「野球に取り組む姿勢」というテーマでレポートを提出してもらった時も、いつも僕が言ってることをノートに何ページにもわたってみっちり書いてきて、これはすごいなと思いましたね。 野球も上達していきました。月に一度、課題を与えるのですが、彼は1カ月たつと、みるみる変わっていったんです。例えば「ダッシュを何本やろう」「シャドーピッチングを何回やろう」「バント処理をたくさんやろう」とか。岩崎は体の使い方が上手ではなかったので、守備練習をたくさんやらせました。そしたら自分が与えた回数以上をやってくる。100回だったら200回。2年生になった時はすごい投手に成長していました。 投球フォームは今とほぼ同じです。球界でもリリースポイントは一番前なんですよね。その要因はシャドーピッチングにあると思うんです。 当時はスティック状の棒を持って振らせていました。通常のシャドーピッチングでは最後に後ろ足が上がりますが、“両足で投げる”ので重心移動をしてリリースした後も後ろ足がプレート上にあるようにしました。僕は“ロッキング”と呼んでいて、舟の櫓(ろ)をこぐ。上下運動、左右運動をしながら舟をこぐ、あの動きを取り入れた投げ方です。狙いはしっかり体重移動すること。ボールの強さ、制球力だけでなく、リリースポイントを前にすることにもつながります。当時は1日1000回ぐらいやりました。この練習は今も続けています。岩崎が成果をあげたことで風間(ソフトバンク)、曽谷(オリックス)、山口(ロッテ)、水上(西武)らも一生懸命やりました。彼の活躍は部員たちにもいい影響を与えてくれています。 甲子園に出場した時にお祝いを送ってくれるのですが、昨年阪神が優勝した時は僕からメールを入れました。「素晴らしいな」と伝えたのは日本一を決めた試合です。2死から一発を打たれても全然動じなかった。「主役は動かない」、「マウンドの上ではバタバタするな」とずっと伝えてきたことを貫き通しているんだなと感じました。 プロの世界でこれだけ活躍するなんて思ってもいませんでした。登板数を重ねてバテちゃうんじゃないかと心配していたんですけど、高校時代の頑張りが下地となっているのでしょう。彼はポーカーフェースで口数は少ないけど芯は強い。これからは1年でも長く現役で頑張ってもらって、将来はプロ野球のコーチになってほしいですね。頭がいいし、きちょうめんなところもある。人柄も素晴らしい。指導者にふさわしい、それだけの能力を持っていると思います。 ◆輿石重弘(こしいし・しげひろ)1963年5月21日生まれ。61歳。山梨県出身。都留、明大を経て、都留、帝京三で監督を務めた。17年からノースアジア大明桜の監督に就任。風間(ソフトバンク)、曽谷(オリックス)、山口(ロッテ)、水上(西武)を育てた。