「この人やばい」太田宏介の前に立ちはだかった長友佑都という名の大きな壁。横浜FC入団会見で発覚したまさかの事実も
「都並さんとの出会いがなければ、絶対に今はなかった」
高校まではMFでプレーするも、プロでは正確無比な左足を武器に左SBとして活躍した36歳は、一時は日本代表でポジションを争った長友佑都への想いも吐露。1歳上のライバルはバケモノのように映ったようだ。 ――◆――◆―― 高校ではサイドハーフで、負けていたらトップ下をやったり、フォワードをやったりしていました。攻撃的な選手だったので、ミッドフィルダー登録だろうなと思っていたんです。だけど、横浜FCの入団会見で舞台に上がった時に、ネームプレートを見たら「DF太田宏介」って書いてあって。そこで初めて気付きました。「俺、ディフェンスなんだ」って。 多分サイドバックとして取ってもらったとは思うんですけど、そういう事前の話や、仮契約の時の話も緊張で覚えていなくて。だからすごく驚いた記憶があります。 高校の国体選抜の時は、サイドバックをやっていたので、少なからず経験はあったんですけど、プロの世界に入って大きな壁にぶち当たって、ポジションに関係なく、練習自体が怖くなったり、パスを受けるのが怖くなったり、そもそもプロのレベルに全くついていけなかった。 ただ2年目に怪我人が相次いで、センターバックとしてJ1の舞台に出させてもらったんです。もちろんプレーのクオリティはものすごく低かったですけど、試合に出られた事実がとても自信になりました。 でも、今後のサッカー人生、センターバックで勝負は絶対できないと思ったので、3年目に(監督として)来た都並(敏史)さんとの出会いが大きな転機となりましたね。(その出会いがなければ)絶対に今はなかったと思います。 同じ左サイドバックですごさを感じたのは…長友佑都君です。まずは運動量ですよね。あれだけチームのために攻撃も守備も…すごいのはずっと理解していたし、分かっていたけど、代表に入って初めて目の前で、対戦相手としてではなくて、同じチームメイトとして目の前で走り続ける佑都君を見た時に「この人やばいな」と感じたのを覚えています。 もちろん僕とは全然違った特徴ですけど、「ここから佑都君を超えていかなきゃいけない」なかで、実際超えられなかったっていうのは…僕にとっては大きな壁でした。