【追悼】「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさん 「岡山での日々はいい思い出」疎開先の総社で初恋も
「魂のピアニスト」として知られたフジコ・ヘミング(本名=ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)さんが4月21日、92歳で死去したことが、5月2日、公式サイトで発表された。 【写真】演奏後、手を振って喜ぶ児童らに笑顔で応えるフジコ・ヘミングさんはこちら ベルリン生まれ、東京育ちのヘミングさん。東京芸術大を経てベルリンへ留学後、リサイタルデビューの直前に聴力を失ったが、欧州各地で音楽教師をしながら音楽活動を続けた。1999年にはピアニストとしての軌跡を描いたテレビ番組が大きな反響を呼び、ファーストCD「奇蹟のカンパネラ」が大ヒット。昨年まで国内外で精力的に演奏活動を続けていた。 戦時中は祖父の出身地・岡山県総社市に疎開。地元の小学校のピアノで練習を続けたという。2022年5月にはドキュメンタリー映画製作の一環で総社市を訪れ、当時練習していたピアノと77年ぶりに再会した。 22年5月21日の山陽新聞に掲載された記事で、世界的ピアニストと岡山の縁を振り返る。(記事中の年齢は当時、映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」は24年10月18日公開予定) ◇ 聴く人の心を揺さぶる演奏で知られる世界的ピアニスト、フジコ・ヘミングさんが20日、疎開先だった総社市を訪問し、当時練習していたピアノと77年ぶりに再会した。 ヘミングさんが疎開したのは太平洋戦争末期の1945年4月。東京から祖父の出身地である旧日美(ひよし)村(現総社市日羽)に母と弟と移り、終戦まで暮らした。ピアノは旧日美小(同市立昭和小の前身)にあり、女学生だったヘミングさんが毎日練習に通ったという。 ピアノは現在も昭和小(同市美袋)で大切に使われている。対面したヘミングさんは「どこも(塗装が)はげておらず、きれい」と感激し、“魂のピアニスト”にふさわしい情熱的な音色を響かせた。 ヘミングさんの昭和小訪問は、ドキュメンタリー映画製作の一環で行われた。ヘミングさんは再会を果たしたピアノで、児童を聴衆に特別演奏会を開いた。 ヘミングさんは日本人の母とスウェーデン人の父のもとに生まれ、5歳の時に来日。ピアニストの母から手ほどきを受け、疎開先でも旧日美小に毎日通って猛練習を続けたという。「兵隊さんが楽しみに聴きに来て、私はその一人に初恋をしたことが懐かしい。岡山での日々はいい思い出で、今の私の肥やしになっている」と振り返った。 ピアノはその後、倉庫にしまわれていたが、ヘミングさんが注目され始めた1990年代後半、修理されて再び音色を取り戻した。 この日の演奏会では、代名詞のリスト「ラ・カンパネラ」、疎開当時にも弾いたというショパン「黒鍵のエチュード」などを披露。全校児童約90人が聴き入った。1曲終わるごとに大きな拍手が送られ、ヘミングさんは笑顔で応えた。終演後には児童代表から花束が贈られ、一緒に記念撮影した。 同小6年児童(11)は「すごいスピードですらすらと演奏して驚いた。努力し続けたヘミングさんはかっこいいし、歴史あるピアノを大切にしたいと思った」と話した。ピアノの保存に尽力し、演奏会に駆けつけた元昭和小校長の河合真作さん(79)=同市秦=は「いつか児童の前で演奏してくれたらと願っていたので、夢がかなった」と感激していた。 映画「恋するピアニスト」(仮題)は、2018年に全国公開された「フジコ・ヘミングの時間」に続く作品。この日の演奏会やコロナ下で開いた無観客コンサートの様子などを収録し、23年に公開予定。