「『打ちたい』と思うと夜も眠れなくなる」 ギャンブル依存症当事者が告白 「誰もがなり得る」経験赤裸々に 支援団体は低年齢化に警鐘
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手の通訳だった水原一平被告の違法賭博問題でクローズアップされた「ギャンブル依存症」。依存症と疑われる人は国内に約70万人いるといわれながらも「病気」との認識が乏しく、人格攻撃にまでつながった。そんな中、YouTubeで自身の経験について赤裸々に明かし、発信している当事者がいる。なぜそのようなことを始めたのか、本人の思いを聞いてみた。5月14~20日は「ギャンブル等依存症問題啓発週間」―。 【写真】YouTubeチャンネル「クレイジーHのやったぜベイベー!!」で体験を発信する磯田さん 「借金の総額的には150万円ぐらい」 「お金がないのに『打ちたい』と思うと夜も眠れなくなる」 「自分でも分からない。どうしていけばいいんだろうという模索の中」 パチンコとパチスロにはまり、ギャンブル依存症に悩むのは会社員磯田伸寿さん(39)=岡山県倉敷市。プライベートではプロレス愛好団体に所属し、リングネーム「クレイジーH」として活動している。今年2月から「クレイジーHのやったぜベイベー!!」のチャンネル名でYouTubeを始め、これまでの経験や葛藤について思いのままに語っている。 ■きっかけはあの人気アニメ 磯田さんがギャンブルを始めたのは29歳だった。アニメや漫画が好きで、「新世紀エヴァンゲリオン」のパチンコ台があると知り、興味本位でやってみた。ビギナーズラックではまったのかと思いきや、「10、20分ほどで2000円が溶けた。わけが分からないまま終わったことで、『分かるまでやってみよう』という気持ちが芽生えた」と振り返る。 初めは友人に連れて行ってもらっていたが、パチンコのやり方を理解し、「わけが分かる」ようになっていった。そこからは一人でも行くように。パチンコの光、音、当たりが出る爽快感…。どんどん心をつかまれた。通う頻度は月に数回程度から「暇さえあればほぼ毎日」に変わっていった。 その数カ月後、初めて借金を抱えた。当初はギャンブルのためではなく、趣味で手作りしたフィギュアをイベントで展示販売するためだった。材料、交通費などで約20万円かかったものの「売れれば取り戻せる」と信じて臨んだ。ところが、売れたフィギュアはわずか1個。「借金は返せず、模型の世界でもダメで、打ちのめされた」と磯田さん。借りていた約10万円もの大金が「自由に使えるお金」という感覚になり、一気に「たが」が外れた。 ■ギャンブルがくれた「成功体験」 子どもの頃から自己肯定感が低かった。「昔から物忘れが多かったり、好きなこと以外は覚えられなかったり…。勉強も運動も苦手で、周りから『バカだと思われたくない』と思っていました」。そんな磯田さんにギャンブルは「小さな成功体験」を与えてくれた。勝てば、自分が投入した以上にお金が返ってくる。「何もない自分でも運が良ければ成功できる」―。日常生活や仕事でうまくいかず、できてしまった心のすき間をギャンブルは埋めてくれた。 ギャンブルにのめりこむほど借金は増えていく。消費者金融から借りられなくなった時は、親の財布からこっそりお金を抜いたり、友人に「財布がなくなった」と言って借りたりもした。パチンコに行ったのに「行っていない」、ギャンブルに使ったのに「ほかのことに使った」と周囲に説明。うそをたくさんついているうちに、自身でも何が本当で何がうそか分からなくなった。「今から思えば、うそで逃げ切ることにも、ギャンブル的な快感を得ていたのかもしれません」 4年ほど前、パチンコで当たっても当たらなくても何も感じられなくなった時に「これは病気なんだ」と自覚した。付き合っている女性に相談すると、依存症のケアをしてくれる病院や自助グループについて調べてくれた。通いだしたものの、病気を理解するまでには至らなかったという磯田さん。自助グループでもおどけて素直に自身のことを話せなかったり、参加したその足でパチンコに行ったりしたこともあった。「本当はギャンブルをやめたくない」―。逃げ道をふさぐことができないまま、月日がたった。 今年1月、心労が募り、またパチンコに逃げた。1万円を使ったものの、思うように勝てない。気づいたらパチンコ台の枠をつかみ「お前も俺を裏切るのか」と叫んでいた。心が壊れた瞬間だった。頭が真っ白になり、3日間失踪。その後、ようやく家に戻り、依存症と真剣に向き合わなければならないことに気付かされた。これが、どん底まで落ちて現実を受け入れる「底つき体験」となった。 ■動画発信で退路断つ 逃げ道をつくらず、向き合うためにはどうすればよいのかー。考えた末に踏み出したのがYouTubeでの発信だった。「退路を断ちたかったのと、一人では抱えきれない悩みや弱さを周囲に知ってもらいたかった」と磯田さん。「打ち明けることで、背伸びせず、ようやく等身大の自分でいられるように感じる。『そうなんだ』『そういう人もいるんだ』と思ってもらえたら」と語る。 振り返ると、周りの大切な人たちをたくさん傷つけてきた。当時は「どうしたらギャンブルができるか」という思いに支配され、周囲の気持ちを考えられなかったという。「自分のうそや行動で、彼女や友人たちは、人生で受けなくてもよい傷を受けた。それでもそばにいてくれることに感謝して、自分は依存症と向き合っていきたい」とする。 ギャンブルを断ち、3カ月が過ぎた。「やっと3カ月。長かった」と磯田さん。今も車を運転中にパチンコ店の看板を見ると心ひかれる。そんな時は「大声で歌を歌ったり、コンビニに行ってコーヒーを飲んだりして、気持ちを落ち着けている」と言う。自助グループも支えになっている。「一緒に闘っている仲間がいる。この人たちが頑張っているから自分もという気持ちになれる」と感謝する。 磯田さんは「ギャンブル依存症は誰がなってもおかしくない」と注意を促す。「自分が当事者になるかもしれないし、大切な人がなって巻き込まれるかもしれない。そんな時に僕のことを覚えていてくれていたら。これからも自分の体験や自助グループのことなどを伝えていきたい」と話す。 「ギャンブル依存症問題を考える会」(東京)によると、以前はパチンコ、パチスロの問題が中心だったがコロナ禍で在宅時間が増えたことで、スマホ1台でできるオンラインギャンブルにシフト。当事者の低年齢化が進み、昨年、同会の受けた相談では20~30代が約8割を占めた。