「4人とも『自分が最高の選手だ』と思っていた」比類なき才能が集まったオランダ黄金世代の功績とは?【EURO】
最後までオランダ代表で戦い続けたのは…
4人の天才たちは、14年のW杯でのファン・デル・ファールトのメンバー落ちに端を発して、一人また一人とオレンジ色のジャージを脱いでいく。その間、遅々として世代交代が進まず、オランダは16年のEURO、18年のW杯と連続でメジャー大会への出場権を逃し、暗黒の時代を迎えてしまう。 4人の中で最後までオランダ代表で戦い続けたのがロッベンだった。その最後の試合は17年10月、ロシアW杯予選の最終節スウェーデン戦だ。33歳のロッベンはキャプテンマークを巻き、鬼気迫る勢いでゴールを目指すと2度もネットを揺らしてみせた。自らのゴールでチームを勝利へと導いたロッベンだったが、虚しくもオランダはロシアW杯行きを逃してしまう――。 この時はまだ誰も気づいていなかった。スウェーデン戦で奪ったロッベンの2ゴールが、後のオランダ再興の礎になることを。この勝利でUEFAランキング(97年~17年にかけてEURO予選や本大会のシードを決めるために使用された)で、オーストリアをかわして12位に浮上したオランダは、翌18年からスタートしたUEFAネーションズリーグで強豪国が集まる最上位のグループAに滑り込むことができたのだ。 その大会で主軸のフィルジル・ファン・ダイクやメンフィス・デパイ、若手だったフレンキー・デ・ヨングやマタイス・デ・リフトらが躍動。準優勝を果たして暗黒時代を脱し、再び国際舞台へと戻ることができたのだった。 ※ワールドサッカーダイジェスト5月2日号の記事を加筆・修正