ジャッキー・チェン50周年 本物のカンフー 日本語分かる!? 記憶に残るTボーン・ステーキ
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> ジャッキー・チェンのデビュー50周年映画「ライド・オン」が公開中だ。 70歳になったジャッキーが「引退した伝説のスタントマン」を演じ、過去作の名場面も織り込みながら、その半生に思いを重ねたような作品だ。一方で、アクションシーンの軽やかさは相変わらずで、その現役感にも驚かされる。 80年7月の初来日から何度も取材したこともあり、感慨深い記念作だ。 初めての来日会見は東京・帝国ホテルで行われた。 「ワタシ、ジャッキー・チェンです。日本語ワカリマセン。でも日本好きネ。ドモ、アリガトウ」 冒頭のあいさつから笑顔を見せ、デビュー6年目にして、あのにこやかなイメージはすでに完成していた。日本語は分からないと言いながら、カメラマンからの「立ち上がって」「腕を上げて」などの要望には通訳を介さず即座に対応。カメラマンたちが「日本語分かってる」「悪口言えないな」などと、ささやき合っていたことを思い出す。 ハリウッドで撮影した「バトルクリーク・ブロー」のPRのための来日だったが、香港映画「酔拳」を撮影中に「失踪」して、強行出演したいわく付きの作品でもあった。この映画で「アジアでただ1人の100万ドルスター」の地位も確立した。ステップアップのチャンスがあれば、失踪も1つの手段。ブルース・リーのスタントマンからスタートした苦労人の、そんなしたたかさも垣間見えた。 会見場にはプロのスタントマン2人がスタンバイしていて、カンフー実技も披露した。背後からの攻撃を倒れ込んで避けてからの、瞬時の回し蹴りによる反撃…。鮮やかでやたらに早かった。スタントマンの1人は当時、香港映画に何本も出演していた竜崎隼人さんだった。「反応の早さに驚いた。今は俳優として見せる演技をしているが、カンフーの実力は一流だ」と語っていた。 82年の2度目の来日時には、成龍(香港名)会など、日本にも10近いファンクラブができる人気ぶり。成田空港には女子中高生ファンが詰めかけた。 空港ロビーではファンに押されながら、左右に蛇行してようやく車に乗り込む「熱烈歓迎」だったが、この時も「皆さんに会えてウレシイ」と笑顔を絶やさなかった。 翌83年の夏には、米アリゾナ州トゥーソンで行われた「キャノンボール2」の撮影現場でジャッキーに会った。オールスター・キャストの作品で、ジャッキーはバート・レイノルズに次いで2番目にクレジットされたいたのだが、実は取材した3日間に彼の出番は無かった。 当時の記事を見返しても、レイノルズを始め、個性派のヘンリー・シルバーやリチャード・キールのことは書いているが、ジャッキーの記述は見当たらない。 40年経っても、覚えているのは、現地のレストランでジャッキーにごちそうになった「Tボーン・ステーキ」の記憶が鮮明だからだ。 歯応え、風味…。「日本からワザワザ、ドモ、アリガトウ。エンリョナク食べてください」のジャッキーの言葉とともに人生ベスト1、2を争う「おいしい肉」として記憶に残っている。 SNSのない時代に、見知らぬ地であるはずのアリゾナでの店選び。かなりの聞き込みをした上に、事前に「試食」もしていたのであろう。 食い意地が記憶の要にあるようで恥ずかしいが、これをジャッキーの気配りと考えれば、あの笑顔の奥の本当の温かさが見えてくる。半世紀に及ぶの活躍のゆえんの1つなのだろう。【相原斎】